カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.10.3 ネオリベラリズム

「今の日本はどういう社会、世の中なのだろう?」「他はどうなのだろう?」

若いころから社会や時代というものが気になった。

(それはいまも変わらないが、若いときは「気になる程度」が大きく、日本は変えなければならない

とまで思い、ビラ配りやデモをした《今は全然》。

長くこの国で生きてきて《「長い」と感じるのは自分の勝手。物差しを何にするかで一瞬の花火にも

満たない人生》、社会には無力感ばかりがつのるけれど、結果として社会が変わるかどうか関係なく

一個人として、「あって欲しい、なって欲しい社会、世の中」を目ざして生きている人が眩しい。

 

先日、愛読しているシカリさんの「ジャニーズ」問題の記事を読み、マスコミという権力《まさに

「権力」》の恐ろしさを強く感じた。

シカリさんは「森友」も「統一教会」も鋭く深く追求され、今は「ジャニーズ」。

私はシカリさんの「ジ…」問題の連続記事を読むまで、人気アイドルを創りあげる「ジ…」側と

テレビ局などマスコミ側の強い結びつきのウィンウィン関係の世間への影響力までは想像しなかった。

この問題の本質は言うまでもなく人権侵害であり、それをなくすことなのに、「ジ…」事務所出身の

歌手グループ、そこからの人気俳優としての大活躍《「ジ…」事務所とテレビ局結託の成果》つまり

テレビ視聴率貢献度の高さから、マスコミ側の人権侵害批判は煮え切らない。

この問題では、一種のブランド、神さまのように崇められてきた「ジ…」への被害者の批判・告発が

身内へのいじめを引き起こすという何とも悲しくやり切れないようなことが起きているとのこと。

《そういう事実を同じく愛読のよんばばさん、それへの共感を書かれた爽風上々さんの記事で知った》

 

マスコミは、世論を「反映」すると同時に「誘導」する。

マスコミ権力は、政治、経済のように直接的なわかりやすいものだけではなく、

文化、風俗、その他の間接的なものも通じて、私たち国民の心や精神、内面を、

それとは悟られないようにそっとしのび込み、支配勢力に国民・民衆がなびくよう多大な影響力を

毎日及ぼしている     

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現代を「ネオリベラリズム(「新自由主義」)といっているのをよく聞く。

それについて書かれた本をこれまでもいくらか読んだけど、最近の

 

ネオリベラリズム精神分析-なぜ伝統や文化が求められるのか』  

樫村愛子・著 

 

は、私にはちょっと難しかったけれど、とてもおもしろかった。

 

ネオリベラリズム」は日本語で「新自由主義」というが、

資本主義経済の現代の姿で、社会全体にとても大きな影響を及ぼしている。

(ネットには詳しいことがイヤになるほどあふれています)

 

著者は専門の「精神分析」の立場から切りこんで、副題にある「伝統や文化」の

大切さを明らかにしようとする。

(「精神分析」について、著者は

精神分析が目指すのは、その人の主観的な幸福や能力の範囲以内で、できるだけ現実を否定したり

否認したりせずに現実に適応できることと述べられる。

つまり、個性を尊重、大切にしながら、無理なく現実に対応できるようにすることだろうか)

 

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ネオリベラリズム」の本質は、すべての問題を「個人の自由」に帰すこと。

 

「失敗」したり、ウン悪く社会の底辺に堕ちたり「社会的弱者」になれば、

それはアンタがしたこと、自分で決めたことだから「自己責任」、という。

 

ネオリベラリズム」のもとでは、主体は個人、アンタとされる。

これが「原理」「原則」なのだ。

 

         


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国家(公)は民間のことにはなるべく口を出さないことがいちばん、という。

(口を出さなくても「自由市場」は経済を最適化する、自動調整機能をもつという)

 

国家など行政は、税の徴収、教育・医療・福祉、インフラ整備など必要最低限の

事業だけ行えばいいとされる。

 

者には、たくさん儲けたから税金もたくさん出して社会に還元しなさいという

野暮は言わない。

(かといって敗者に、ウンが悪かっただけ、セーフティーネット助けましょう、

社会は「お互いさま」などとも言わない)

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ネオリベラリズム」は「個人の自由」の尊重を謳いながらも、

人は生まれながらにしてすでに差がついているという事実、(以降の人生途上の)

運・不運の存在という厳然たる事実をいっさい無視し、

「自己責任」ということで決着しようとする。

けれど、そこには「伝統も文化」はない。なぜ、ないのか?

 

伝統や文化」というものは、「自己責任」の単位である一人ひとり、

個人を超えた広いものだから。

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これは新書本なのに、いろいろなことが盛りだくさん述べられており、

「はぁー、そうなのか…」と新鮮に感じることがいっぱいあった。

 

大文字の他者Aの衰退する社会」という一つだけ、次回に書きます。

(「大文字の他者A」《AはBでもCでもかまわず、とくに意味はない》とは、「伝統や文化」という

個人に還元できない、個人を超えた広いもののこと。いわゆる「大きな物語」)

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

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