ツレが脳梗塞を発症してから、もう半年が過ぎ去ろうとしている。
(ウソと言いたいほど時間の速さ、それ以上に「日にちぐすり」を強く感じている。
症状の改善が時間の経過とともに進むことは、脳梗塞のマニュアル本にも書いてあった。
忘れることが多いとか、料理など何かに集中しているときに話しかけられると《急な刺激があると》
混乱し、それまでしていたことがわからなくなるので「黙っていて!」と言うことなどは変わらない。
けれど、退院してからしばらく続いた「こんなことで何で泣く?」というような沈みがちな気分、
気の低下がだんだんよくなった《そればかりか、以前のように「バカ・アホ・マヌケ…」と私を
おちょくることも出てきた。もちろんこっちはバカで結構!》
本にあったように、時の経過とともに「病識」が進み、落ち着いてきたからに違いない)
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このことを5回も記事にしたのに、この間、3年前の9.11に書いた「脳は回復する」
という読書感想の記事を一度として、思い出すことがなかった。
(もっとも、一度も思い出せなくとも、記事として書いていたから、脳梗塞のことは無意識の内にも
インプットされており、私自身が《脳外傷とはいえ》同じ脳障害の先輩ということも手伝い、少しは
落ち着いて受けとめられたのかもしれないが、記事のことをすっかり忘れていたというのは
書いたときは自分たちにとって脳梗塞は「他人事」であり、こんどは「自分事」になって慌てていた
から思い出せなかったに違いない)
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前の記事「脳は回復する」は鈴木大介さん一人で書かれた本だったが、
こんどは共著の
『壊れた脳と生きる』 鈴木大介/鈴木匡子 という。
(グーグル画像より)
(お二人は夫婦ではありません。
大介さんが脳梗塞で「高次脳機能」障害を負った患者さん。匡子さんは高次脳機能障害の専門医。
鈴木大介さんはもともとルポライターで、高次脳機能障害者になってからも仕事に復帰され、
高次脳機能障害者になったという貴重な体験を、本や講演で広めておられる。
この本では、誠実で温かなお人柄の鈴木匡子さんという専門医が、その立場からとてもわかりやすい
解説をされ、これまで読んだ脳梗塞のマニュアル本ではわからない大切なことがたくさんあった)
ひと口に「脳梗塞」とはいっても、やられた部位により、症状は個人によって
さまざま。
鈴木大介さんのように高次脳機能障害と診断されようが、されまいが(ウチの場合は
入院していた病院ではいわれなかった)損傷した部位の違いはあっても、症状は似たり
共通している点が多いことを、この本を読んで強く感じた。
また、それは
脳の働き、機能がうまくいかなくなったということであり、
脳梗塞の後遺障害に苦しむ人たちだけの問題ではない。
(ASDなどはみんな脳の「障害」だ。悩む人たちは多い。
もっと広く、一般的な問題として捉えられなければならないと思う。
私が大切なことだと付箋を貼った八つのことだけを以下に引用します)
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①「最大の苦しさは何か?
(周囲に理解がないこと)
当事者は、自分自身の弱さや努力不足を責めてしまいます。…
自分がやれないことがあるのは、脳の機能に問題があるからだと知り、
それを周囲が理解して協力してくれれば、人が心を病むこと自体、ずいぶんと減るはず」
②「脳のキャパシティ問題
脳機能の容量は大事な考え方です。
脳で同時に処理できる量はある程度決まっていて、大量の刺激が一度に入ってきたときに
どれだけ処理できるかという限度があるのです。
脳損傷によって、その容量が少なくなってしまう場合があります。…
できないことも、全肯定してください」
③「心の中のキャパシティ
脳のエネルギーを温存する対策は大切です。あきらめられるものはあきらめる、
自分のエネルギーを削るものを避ける」
④「(鈴木大介さんの退院時)「今後の人生はリノベーションですよ」とか
「リノベ中の家はこんな危険があるから、気をつけてくださいね」といったような声掛けを
(して欲しかった)」
⑤「脳のスペックが落ちる(ということは、大介さんによれば次の5点)
①感情をコントロールできない ②情報の処理速度が下がる。頭がゆっくりとしか働かない
③談話、コミュニケーションがうまくいかない ⑤疲れやすい」
⑥「心理・感情の問題
一番苦手なのは、問い詰め(と、大介さんは言う)」
⑦「あなたの隣の当事者さん-支援の仕方を考えよう
当事者視点で(考えることがいちばん大事)…例えば「怒りっぽくなる」のではなくて
「自分の怒りをコントロールできなくて苦しい」…だけで、全然違う」
⑧「長期スパンで考えるのは大切ですね。先月と比べるとあまり良くなっていない、
でも、1年前に比べたらだいぶ良くなっている」
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■ ①~③に共通すること。
そうなんです! 「脳の機能に問題がある」「脳のキャパシティ問題」
「心の中のキャパシティ」ということに、私もどれほど共感したことだろう。
努力、鍛錬によって伸ばせることもあるだろうが(科学的には不可能といわれていても
「念力」「信ずるものは救われる」の類で、意志、信ずる・念じる力が奇跡を起こすかもしれないし
失われた機能も代替神経が発生してカバーしてくれるかもしれない)、
死んだ脳細胞が蘇えることはない。
「あきらめるものはあきらめる、自分のエネルギーを削るものを避ける」
ことはほんとうに大事だ。
「あきらめられ」なくても「あきらめ」なければならないことがある。
「脳の機能に問題がある」「脳のキャパシティ問題」だからだ。
(ウチでは「私はバカになった。このままボケていくんでは…ウゥゥゥ…」と落ち込んでいたけれど、
私はただただ「大丈夫! 脳のその部分が…」と言うしかなった。
本の他の部分にも書かれていたけれど、医療現場における「トリアージ」のように、大事なことの
優先順位をつけ、「あきらめられるものはあきらめ」なければならないと思う)
■ ⑥について
「問い詰め」がどれほど人を追いこむかということを、すごく考えさせられた。
「問い詰め」は「普通」、「常識」、「正当」とされている(だから強い)立場、
側の者が当事者を詰問することだ。
追い込まれるしかない当事者は、うまく言い返す、つまり反撃する力がない限り、
自分を守る(「自己防衛《保存》」は生きものの生存戦略)ためには暴力に訴えるか、
発狂するしかない。
(いま、たまたま『教誨師』という本を読んでいて、教誨師から見た死刑囚のことが述べられていて
とても強く考えさせられる)
■ ⑦は、言葉の持つ力というものを痛感した。
「「怒りっぽくなる」(と表現する)のではなくて
「自分の怒りをコントロールできなくて苦しい」と表現するだけで、
「全然違う」と当事者の大介さんは言う。
(「ものは言いよう」というのとちょっと違うけれど、心や気分の状態が「言葉」の使い方、
表現によって変わるということ、日々の生活のなかでも意識してみたい)