「生」や「死」について若いころからヒマがあればいろいろ思い、考えたけれど、
もちろん、いまもわからない。
わからないけれど、歳を重ねたからそれなりの人生経験を積み、
そのうえ今ではヒマはすいぶん増え、自分の人生では経験できないことを
テレビや読書などから知り、幅が拡がりつつあることだけは確かだ。
(でも、知ったことが増えたからといって「正解」《があるとしたら》に近づいたとは言えないが、
いろいろな見かた、考えかたができれば「世界」が拡大した気がするので嬉しい。
「世界」が拡がった気がするのは確かに嬉しいけれど、あくまで気分の問題で、
実際は何かを選べば何かは捨てなければならない。
「人間は限りの中を生きている」という、あたり前の事実をよく自覚したい)
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『生物はなぜ死ぬのか』 小林武彦
(グーグル画像より)
本は「なぜ、私たちは死ぬのか?」「死ななければならないのか?」とズバリ問う
死を、これほど積極的に肯定してくれる本は初めてだった。それに、
老化を、こんなに肯定してくれる本は初めてだった。
(新書なので一般向けだけど、けっこう「生物学」や「化学」的な知識が述べられ、
そういう素養のない私はこういうところはついていけないので飛ばした。
飛ばしてもノープロブレム、「死生観が一変」ほど考えさせることが多かった。
私はこれまで「仏教」など心、精神面からを死生観を追ってばかりだったが、
「科学」からの追及も大事だと思った)
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とても強く感じた三つのことだけ書きます。
① 「死」も進化が作った生物の仕組みの一部
② 多様性のために死ぬということ
③ ヒトの未来
(今日は①)
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① 「死」も進化が作った生物の仕組みの一部
「出来たばかりの地球において、度重なる偶然が起こり、
より効率的に増えるものが生き残り、死んだものが材料を供給する「正のスパイラル」によって
生命が誕生
…
〈「死」も進化が作った生物の仕組みの一部〉
「進化が生き物を作った」という命題は、結果(現在)から原因(過去)まで遡った考え方で、
ある種のサクセスストーリーとなります。
しかし、実際には目的(ゴール)があって進化したわけではありません。
多様な「種のプール」があって、それらのほとんどが絶滅、つまり死んでくれたおかげで、
たまたま生き残った「生き残り」が進化という形で残っているだけです。
…
〈進化によって獲得された老化〉
老化が死を引き起こすというのは、生き物の中でも特にヒトに特徴的ですが、
「進化が生き物を作った」とすれば、
老化もまた、ヒトが長い歴史の中で「生きるために獲得したもの」と言える
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著者はくり返し何度も本書のポイントは二つあると強調されている。
一つ目は「作っては分解して作り変えるリサイクル」つまり「生まれ変わり」
(仏教の「輪廻」ではありません)ということだ。
二つ目は「進化が生き物を作った」という視点。
この二つ、「生まれ変わり」と「進化が生き物を作った」を合わせると、
「「死」も進化が作った生物の仕組みの一部」
「死んでくれたおかげで、たまたま生き残った「生き残り」が進化という形で
残って(生まれ変わって)いる」ということになる。
そして、「老化」ということを考えたとき、
「老化もまた、ヒトが長い歴史の中で「生きるために獲得したもの」」であり
「進化によって獲得された」ものだという。
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とても強く納得した。
生物の死に方には二つあるが、一つは「アクシデント」による死」であり
もう一つは「寿命」。
(「アクシデント」の多くは、ヒトなど一部の生き物以外では食物連鎖のなかの「食われること」、
ヒトなどでは事故や病気。
「寿命」は、言ってみれば「生まれた」とき「死ぬ」よう予めプログラムされているわけだ)
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しかし、
引用の初めの「出来たばかりの地球において、度重なる偶然が起こり、
より効率的に増えるものが生き残り、死んだものが材料を供給する」ことによって
「生命が誕生」したことを想うと、偶然のもつ絶対的な威力に驚かざるを得ない。
(偶然といえば、メキシコのユカタン半島に残っている巨大なクレーター痕跡。
もし、6600万年前の小惑星の地球への衝突《隕石落下》がなく、恐竜が生き続けていたら、
ヒトが誕生していることはなかったといわれる。
しかし偶然、隕石が地球に衝突した。おかげで巨大な身体の恐竜は死に絶えたが、
まだネズミのように小さな哺乳類は、小さかったゆえに陰に隠れて生き延び、
その一派は結局、ヒトにまで進化したという。
偶然はホントわからない、不思議というほかない。
またパレスチナでの戦争が「再開」し、連日の悲惨に目を塞ぐ。
何らかの偶然が起きようとも《一刻も早く》戦争が終わってほしい)