カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.12.26 引っ越して1年、あれから9か月

もう少しで2023年も終わる。

 

きょ年は、クリスマス前に急な引っ越しをした。

今年は、春にツレが突然、脳梗塞を発症した。

 

思えば、私たちの人生にとって、私が障害を負った2006年とともに

大きな区切りとなった。

(それらのことは今年の1.3、4.22・25・28、5.19・7.7に書きました。

こんなこと、もう起こらんでくれ!)

 

どっちも「まさか…」、するともなろうともまったく思っていなかった。

(前の住まいは終の棲家」《と思っていた》初めての持ち家だった。そこからいまのアパートに

移ることになろうとは。

こっちはある意味突然」だったが、脳梗塞の方は「まったく突然」だった)

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長く生きておれば分かってはいても、いろいろな出来事が突然、起きる。

引っ越しのように自分で決めることが出来るものもあれば、

病気になったり事故に遭うなど、自分ではどうしようもないことだってある。

 

                


私はすでに障害の身となり16年も経ち、
身体の障害、不自由にもすっかり慣れ、

板にもつき、個性のひとつのようになっていた。

それが「幸い」し、突然の大事であっても長い目で見れば」という条件付きだが

冷静かつ楽天的に受けとめられるようになったと思っている。

(飽くまでも長い目で見れば」のこと。

その朝、起床したばかりのツレが幼児のようなしゃべり方をしたときは、小心者の私は完全に慌て

ふためき完璧感情で受けとめた。草野球の子どもだった《ミット(みっと)もなかった》)

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パッと思いつく「後遺症」はこんなもんだ。

 

① 「私、何か忘れていない?」とよく聞いてくる。

ちょっとしたもの忘れが多い。

(確かに増えたけれど、私自身もそうであるように加齢とともに増加する一般的なもの忘れが、

より多いだけのことだと思っている)

 

② 確かに以前のような「シャキシャキ感」はあまり見られなくなった。

(何か一つのことに注意力を注ぐのが精一杯なので、何かをしているときの声掛けは厳禁だ。

自分が何をし何を思ったり、考えたりしていたかが分からなくなってしまい酷く混乱する。

以前のように複数のことに頭を使い、こなしていくということはできなくなった)

「スピード感をもって」はムリになったが、そのペースが私にはちょうど好く、

合ってきた。

 

③ 「私ってダメだねえ…」とときどき自信喪失気味の言葉を言うようになった。

(反論し、心に届く言葉を考えて言い、励ます)

 

④ 私としてはこれこそが困るのだが、「感情失禁」。

(それについてネットではこうあります。→「感情失禁とは、脳出血脳梗塞脳損傷など

脳器質性疾患のある患者が、その障害によって、通常感情が大きく動くようなことではない小さな原因

によって感情が高揚し、泣いたり笑ったりすることを指す。

本来泣き笑いするほどのことではないにもかかわらず、そうなってしまうからこそ、

感情の「失禁」なのである」)

ツレは女性なので(男女差別と思われる方もおられるかもしれませんが)悲しいとき、

情けないときは涙が出やすくなってしまう。

私にはまったく悪意がなくても(どころか真反対。善意、よかれと思った)動でも

誤解され、「わざと私を悲しくさせている…」とのたまい、泣く。

(いまではこういうことへの自分の態度として、私の思いや考えがどうであれ、《結果としては》

誤解させ、悲しい、情けない気もちにさせたかどうかが問題、大事だと受けとめるようになった。

この場合は「結果オーライ」が大切なのだ)

 

 

 

 

 

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                              ちりとてちん

今日の俳句

生かされて 今あふ幸や 石路の花  瀬戸内寂聴

 

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