カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.8.27 おもしろかった、暑かった旅③

(続き 今回で終わりです)

翌日もカンカン照り。

 

これからの予定。 初めはJR「名松線」に乗ること。

伊勢八知」駅でディーゼル(一両)に乗り、二駅先の終点「伊勢奥津」駅で降り

あまり時間がないので駅周辺でちょっと過ごし、再び(先ほど乗ったディーゼルで)

折り返し、こんどは終点の「松坂」までの車窓を楽しむ。

名松線→「名」は「名張」。 当初は、「松」の「松坂」を結ぶ予定でしたが事情があって変更、

「伊勢奥津」が終点となった)

 

次。 松坂駅から近鉄電車で「伊勢中川」駅経由で「榊原温泉」駅で下車し、

迎えのワゴン車で榊原温泉の「榊原館」という宿へ行き、宿泊。

 

最後の日。 榊原温泉からの帰りに室生寺へ寄り、大好きな仏像、五重塔を拝む。 

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撮り鉄」という言葉(流行を越し、もう普通になった)がある。

 

      

  (もちろん、これも撮り鉄の私が写しました。撮影のときはまったく気がつかなかったのですが

  パソコンにとり入れたら「売物件」という看板が入っており、それががいいと思った)

 

撮り鉄」が普通に言われるようになったのは、たぶん、デジタルが普及したこと

ケータイで簡単に、しかもフィルムに変わったメモリーカード何度も撮影可能に

なったという画期的(革命的)な技術の進歩が背景にあり、実際、鉄道車両を多くの

人が写すようになったからだと思う。

(「撮り鉄」という言葉をつくり、流行らせたのはマスコミ)

 

この言葉が流行る前から旅に出れば必ず「乗り鉄」し、その鉄道を撮り、

車窓の風景を写していたから、私は「元祖・撮り鉄」なのかもしれない。

旅は「一期一会」。すべてが貴重な思い出。

思い出は、心に写し込まれて残っているからそれでいいのだけど、凡人はすぐ忘れる。

ところがカメラという文明の利器があれば写真というモノに残せる。スゴイことだと思う。

車窓からの景色とともに自分たちを運んでくれた車両へ感謝の気もちを込めて写す》)

 

      

 

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右に左にカーブしながら川を縫うようにゆっくり走るディーゼル車。

ゆっくりだから、水の流れも河原も草木の茂みも撮影しやすい。      

      

       

  

「比津」という一駅を経てほどなく伊勢奥津駅に着いた。

 

年寄りだからよく小便したくなる。下りたら最初にトイレを見つけて急ぐ。

(けれど暑すぎて、汗は吹き出しても尿は汗に負けるためか出なかった

発車までちょっと時間があるので、小さな駅舎に併設した(「観光案内交流施設

ひだまり」という)売店で、地元の手作りのしかも値段もビックリするほど安い)饅頭か

団子のようなものを幾種類か買った。

 

      

 

(こういうことが、現地でしか買えない味わえない旅の醍醐味。

後で食べたけれど、素朴な作りでとても美味しかった

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名松線。 「43.5kmを約80分かけて…」と三重県津市のHPにはある。

(その通り、ホントにゆっくりのんびりできた。

 

      

 

1987年の国鉄解体・JR民営化は大間違いだと、旅で鉄道を利用するたびに痛感している。

 

JR東日本は、人が圧倒的に多い東京・関東圏を傘下にしているからお金があるらしく、

JR東日本圏を旅すると新しい、快適な車両が多い。廃線の話も聞くことがあまりない。

反対に、他のJRは古い車両が多く、廃線もよく聞く。

 

「東はいいなぁ」とせこいこと思っていたけど、古いものでも使えるなら長く使うことは大事だと、

名松線の古いディーゼル車特有の音に耳を傾け、揺れのリズムを感じながらを感じ、思った。

これがホントの贅沢《負け惜しみでなく》と思えた。

そんでも、廃線にはすごく腹が立つ)

 

      

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JR松坂駅から隣の近鉄松坂駅に進み、次は近鉄電車へ。

また次には伊勢中川という中継点みたいなところで乗り換え、榊原温泉駅へ。

 

榊原館の迎えのワゴン車には私たち以外に、お得意さん、つまりリピーターらしい

高齢の女性客がおられた。

(ここの湯、榊原温泉の湯はすばらしい。高齢の女性が入りたくなるのが深くうなずけます。

是非ともHPを見てください。

 

      

 

ということで、榊原館、榊原温泉でのことは湯以外、特に書きたいことはないので略します)

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最終日、帰りの日。

 

室生寺」へ。

室生寺近鉄「室生口大野」駅で下車し、すぐ両側に山が迫った谷間を流れる「室生川」沿った

道路をバスに揺られて15分くらいのところ。

 

 ここに来るのは50年も前に訪ねて以来、二度目。

もっと訪ねればいいのにもったいなくて来れない感じ。

ちょっと大げさにいうなら大事にしまっているものは「死ぬまでにもう一度…」というあの感じ》

 

私にとっての室生寺は、幽谷のような雰囲気の深い山の中に寺全体が《神さまじゃないけど》

鎮座しているという感じで、50年前もこんどの再訪もまったく変わらなかった。

若い頃、わけあって明日香など古代大和に惹かれた。それは仏像に発展し、土門拳という写真家の

室生寺』を知ることになったのが、自分にとっての「謂われ」)

 

室生寺へのバスは私たちと同じような観光客が結構いた

(1時間に1本とはいえ、山の中とはいえ、さすがは「室生寺」)

山の中とはいえ、さすがは「夏」だった。

(陽射しはおおかた高い木立ちで遮られ、境内は薄暗いけれど、やっぱり暑かった。

背後の山にひっそり佇むような五重塔は、ポスターにもなるくらい室生寺を象徴する癒しの風景で

ツァーの目玉なんだろう。

大型観光バスのツァー客が波のように押し寄せた。でも引くのもあっという間。

もったいない。

 

     

 

ツアー客の去った後はシーンとして、私たちはベンチに座ってペット茶に口をつけ

汗を拭きながら五重塔を見上げた。

《「見上げた」というのは、室生寺は山寺なので石段が多く、ここまでの石段には手すりがあったが

最後の石段、五重塔のまでは手すりがなく、いくらツレが支えてくれるからといって危ないので

目の前までは行けなかった。その石段の下の境内から見上げたのだった》

 

      

 

上の写真、場所は室生寺バス停広場。

帰りのバスを待っている間も暑くてたまらなかった。

 

広場にはベンチと、そばに大小の切り株が何のためか置かれていた《初め一瞬、元々この場所に

立っていた大木の切り株かと思った》ので、シャツを脱いで広げた。

《もちろん、辺りには誰もいなかった》

旅の思い出と、笑いながらツレが撮った。

 

最後にオマケ → 

私には普通の身体のフラフラ《平衡障害》だけど、杖を使わなければ安全な歩行もままならないので、

去年の春、脳梗塞を発症したけれど、「不幸中の幸い」で軽くてすんだツレの、文字通りの支えが

なくては旅には出られないことをあらためて思い直す。

《二人の間では当たり前になっている普段の生活もたまの旅も感謝…

 

      座主が語る 知れば深まる、室生寺ばなし|室生寺|社寺なび ...

            (十一面観音立像 グーグル画像より

 

 

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                          ちりとてちん

炎天を 打って出るべく 茶漬飯  川崎展宏

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