カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.9.6 「愛する」ことと「傷つけないこと」 「思い上がりを叱る」という仕掛け

今日は残りの二つの話です。

 

「愛する」ことと「傷つけないこと」

「どうやって子どもを愛そうか」を工夫するより、「どうやって子どもを傷つけないようにするか」を

 工夫するほうが大切

私は子どもに対して「敬意を持つ」ことに決めた。

この子の中には私の理解や共感を絶した理念や感情がひそんでいる。そのことを素直に認める。

そして、無理をしてそれを理解したり、共感しようとしたりしない。

(「お前のために、これだけ愛情を注いできた」ようなことを子どもに言うと、子どもは

「貸しがある」という気分になる。「貸し」があれば、どこかで「回収」したくなる。…

私はそれよりも「敬意を抱く」ことのほうが感情生活においては大切であり…

なによりも、敬意には「これだけ敬意を示したのだから、見返りをよこせ」という

「債権督促」メッセージが含まれていない。

 

「思い上がりを叱る」という仕掛け

(図書館の教育的機能)

私が生涯かけて読むことのできる本は、この図書館の蔵書の何千分の一、何万分の一に足りない…

なんと、世界は「私が知らないこと」で満たされているのである。

そのことを思い知らされるのが図書館の最も重要な教育的機能だと思う。

知的であることとは…「慎ましさ」…無限の知に対する「礼儀正しさ」…

学ぶというのは「個人になること」である

(おしまいに著者は「無知」を、ロラン・バルトの定義を引用して言う。

単に知識が欠けているということではない。そうではなくて、無用の知識が頭に詰まっているせいで

新しい情報入力ができない状態」と)

 

     


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〈「愛する」ことと「傷つけないこと」

 

子育て、わが子がいれば誰もが悩む

(思い出すことしかなくなった子育て。教育。

この本を読みあらためて、どれほど大事なものかを教えられた

子育てしているときに聞きたかった

 

「子どもを尊重する」とは、自分の子育てもあったけれど仕事でも子どもを相手に

していたので知っていたし、そうしなきゃいけないと思っていたけれど、

頭で理解できていてもそこ止まり。標語、スローガンに過ぎなかった。

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内田さんはおっしゃる。

子どもに「情を注ぐ」、「す」というはっきりしない言いまわしより、

子どもを傷つけない」のほうがわかりやすく、しやすいと。

 

そして、「子どもを傷つけない」ためには、何より子どもに対し敬意を持つ」。

する」とか「尊重する」というよりも、敬意を持つ」という方ができそうな

気がする。

(確かに敬意を持っていれば、子どもを傷つけるなんてこと、出来るはずがない)

 

 

     


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「思い上がりを叱る」という仕掛け

 

図書館の教育的機能」とは初めて聞いたけれども、何度もうなずいた。

 

世界は「私が知らないこと」で満たされている

図書館へ行かなくても、いまはインターネットという図書館に匹敵《日常生活世界のことなら

図書館以上》する情報の供給源があり、このブログだけでも「世界は「私が知らないこと」で…」と

日々感じ、驚いている)

 

いかに自分は無知であるかを知る。そのことの自覚がその人を「慎まし」くさせ、

謙虚にさせる。

(話がまったくの私事になるけれど、《老人になってから》人にいちばん必要な、大切な資質は

「誠実」、「謙虚」と思うようになった。

相手の人に「敬意を持つ」ようしなければ、「誠実」に対応する「謙虚」さは持てない)

 

 

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                          ちりとてちん

すずしさや 鐘を離るゝ 鐘の声  与謝蕪村

 

 

 

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