前回の記事に「図書館の教育的機能」ということを書いた。
「図書館」はタダで読みたい本を借りて読めるところくらいしか思っていなかった
が、内田さんの本に「教育的機能」とあり、そういう見方に深くうなずいた。
本に新たな世界を発見し、驚いたり、新鮮な気もちになる。
(もちろんそうでないのもあります。私なんか借りても初めの何ページかを読んでイヤになり、
もちろんそこで止めて返すものもよくある)
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「知る」ことは読書だけではないけれど、仕事からリタイアすると圧倒的に
人間関係は薄くなり、そこからの情報は期待できなくなる(人が多いと思う)。
でも圧倒的にヒマな(というか自由な)時間ができるので、好きな本を読みましょう。
読めば新たに知って得した思いになることも、ある事柄についての別な見方を
教えられ、自分のそれまでの見方が思い込み(偏見)と気づき、訂正を迫られる
すなわち更新しなければならないこともよくあります。
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『弱いつながり-検索ワードを探す旅』 という本を読んだ。
(グーグル画像より)
読みやすく、とてもおもしろかった。
書名のとおり、著者は(相手が人であろうとモノであろうと)「弱いつながり」を持ち
それを大切にしようとしようといわれる。
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現代の私たちがスムーズに暮らそうとすれば、もはや欠かせなくなったネット。
東さんは言う。
ネットへのアクセスは、ある意味で人間の本質ともいえる「遊び」であり、
「旅」でもある。
人と人(SNS)、人と物事(ネット検索)との間に「弱いつながり」を持とう、と。
(「弱いつながり」とは、「真面目」だとか「責任」だとか、「深い」「強い」…を感じることなく
気軽に興味や関心、好奇心をもち、いい加減でいいので、ちょっとした関係を持ってみようということ
たとえば、検索ワードを「ふくしまげんぱつじこ」として打ち込む。
その福島原発事故の跡、廃墟を「観光地化」しようという話が本の中に出てくる。 →
福島も「フクシマ」として、「ヒロシマ」「ナガサキ」…そして「チェルノブイリ」と同じように
観光地にしてしまおうという。
観光地にしてしまい、大勢の人々に「フクシマ」に来てもらおうといわれる。
2011.3.11。科学技術《という現代の神》への信仰ともいえる原発を「ツナミ」という大自然の脅威が
襲った。その跡地を訪ねる。
重く神聖な気もちでも、軽い観光気分でもいい。
「平和を学ぶ」でも(ただの)観光でも、目的は何でもいい《無目的でも》。
ともかく一人でも多くの人に、あの福島原発事故のあったところ、現地を訪ねてもらう。
訪ねる前と後ではイメージが変わっているかもしれないし、そのままかもしれない。
が、そこに行かないとわからないと、著者は言う。
「起きてしまったことは「なかったこと」にはできない(過去は消せない)」
その消せない過去を、私たちは決して忘れてはならないし、そのためには現地・現物で知る、感じる
のがいちばんだという著者の執念ともいうべき強い思いを感じた。
「観光気分」という軽いもので「弱いつながり」を持つことなら、
誰でもあまり抵抗なく受け入れられるのではないだろうかと。
と、書いてきたら長くなったので、引用と感想は次にします)
西の塔 から東へ 秋の蝶 鷹羽狩行