カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2016.3.15 IT、デジタルの時代③

 

                                                  カメキチの目

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 そのうちIT、デジタル全盛時代となった。

 コンピュータ機器を使わねば、仕事がやりにくくなった。

「にくい」という生やさしいものではない。仕事そのものがやれなくなった、というほうが当たっている。

 世はさま変わりした。

 

 なかにはこんな時代の到来を予測した人もいたのだろう。

が、私は全然こんなこと考えたこともなかったです。

  私がいちばん驚くことは、わからないことや調べたいことが一気にわかること。

 その時その場で、しかも一発で、簡単なクリックという操作をするだけのインターネットだ。

 その網の目は世界中にのびているという。

“網の目”、“ネット”という言葉は今や時代の最先端を表しています。

ネットと言えば、ちょっと前までは、ごみネットくらいしか身近にはなかったですが、セーフティネットは“安全のつながり”、人間を含む生命の世界に(いや非生命も)本質的なものなのでしょう。

考えれば、“縁”だってネット、網の目ですね。

 クリック一つでわかり、知り、つながる。

 思えば、これはスゴイことだ。

 

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  生まれたときからすでにこんな環境にあれば、これはあたり前なのだろうけれど、アナログが長かった世代の私は、これは「革命」に思える。

 ふつう「革命」というと、フランス革命とかロシア革命のような社会体制の革命を思いがちだけど、歴史には産業革命もあった。

 ITやデジタル、インターネットの出現も産業革命の一種かもしれない。

 しかし、その及ぼす世界は(単なる通信・情報という産業を超えて)生活の広いところにあり、限りがない。生活革命というべきもの。

 

 IT、デジタル以前も人間は生きてきたわけだから、これからもアナログ中心の生活スタイルでやっていけないことはないと思う。

 だが、やりにくいのだ。

 この「にくい」というのが、ミソかもしれない。

「にくくなる」まで、IT、デジタルは進んでいる。

 IT、デジタルに疎いということは、生きにくいということなのだ。

「しあわせとはなんだ?」と嘆いても、IT、デジタルは答えてはくれない。「そ・ん・な・ん・自・分・で・お・探し・く・だ・さ・い」と言われるのがおちだ。

 

 やっと本にたどり着いた。

 本の著者はその道では有名な方らしい。

 その著者は、現代文明社会の生活には飛躍的にIT、デジタルが普及し進み、ロボットいまのところヒト型はマスコットの段階にとどまっていますが登場したと述べる。

 その方は、未来社会において、よくSF小説のテーマになるようなロボットの反乱については否定的である。

 だが、コンピュータは個人的、つまりパーソナルには人間に合わせても、ITの管理がたいへんなのでたとえばコンピュータにある不具合が見つかって、またはウィルスの攻撃を受けてアップグレード、更新をしなければならないとき、個人なら容易なことでも社会システムとなるとその変更はむずかしい社会全体としてはコンピュータ、つまりロボットの方に人間が合わせなくてはならないのではないかという。

 

「あ~あ、やっぱりね」と私は悲観した。

「あ~あ、読むんじゃなかった」

 

                  ちりとてちん

 

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