カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.2.9  「『普通』を考える図書館」

                                                  カメキチの目

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こういう身(年寄りで障害者)なのであまり動かず(ナマコみたいに)、日々の暮らしはきわめて変化に乏しいので日記のようにはいきません。で、いきおいネタはまた、新聞、本、テレビなどよそからの借りものになってしまいます。すみません。

 

 さく年10月23日の「デジタル朝日」に

「『普通』を考える図書館」という記事が載っていた。

 

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 私は前(先月の10日)に自分の体の障害について書いたことがある。

 書いていて、ちょっと愚痴をこぼしているみたい…と感じた。けれど、多くの方に励まされた。

ありがとうございました。

こうして文字にされること、とても大事なことだと思います。たくさん書いて頂くほど、読む人に認知されていきますから。…大切な記録であり、情報であり、助けになる人がいると思います」。とっても嬉しい、ありがたいコメントもいただきました。

 それで、この記事を思い出した。

 

 記事は、「日ごろちょっと気になっている人がいる」から始まっていた。

「ゲイだったりホームレスだったり…」

 ようするに、日ごろ「普通」と思っている自分という人間を「マジョリティー(多数派)」としたら、「普通ではない」と思われる「マイノリティー(少数派)」の人たちと直接ふれあい、彼らの日常、暮らしや感じたり思っていること考えることなどを聞こう、知ろうということである。

 図書館なら「蔵書」できるけど、こっちは本ではない。人間だ。貸し借りできない。閉じ込めてはおけない。

 で、マイノリティーである性的少数者LGBT)、障害者、被差別部落民、在日朝鮮(韓国)人、ホームレス、アイヌ専業主夫…の人などに大学などに招き(いちおう「本」となってもらい)、彼らと対話したい、聞いてみたいと思っている「入館者」(「『普通』を考える図書館」の参加者・「利用」者)と触れあってもらうのだ。

ひとりではあのゲイの人のこと知りたい、できたら友だちになりたい、と願っていても(遠慮して)他人のなかにズカズカ踏みこんではいけないと思い、なかなか話しかけられない。

 現代はネットの時代なので、こんなブログのように気軽に情報の双方向の発信受信が可能で、相互交流を通じてお互いの理解がある程度はできるが、やっぱり対面、直接には及ばない。

旅でも、自然のすばらしさや街の雰囲気といったものは、現地の本物でしか味わえません。

ましてや「人」。直にその人の顔を見つめ、しゃべり、キャッチボールを交わしながらでないと感じられない、わからない、味わえないものがあるはずです。

そう言えば、この前テレビのニュースで最新のITテクノロジーを学校教育に取り入れようと世界中の900社以上の参加があった機器の展覧会のようすが報じられました。なにかの生物が描かれたカードのようなものを手元のプロジェクターのようなものに置くと、黒板のようなモニターにその生物の動いている姿が映し出され、臨場感いっぱいでした。

が、それは「本物」ではないのです。まだ柔らかな子どもの脳。先に書いた生物学者本川さんも子どもの脳へ及ぼすコンピュータなどの害をすごく危惧されていました。

おとなへと成長すれば、そのなかで言葉や映像など「本物」「実際」「事実」などとの違い、かい離を判断できるようになるのでしょうが、早くに固めていいのか?心配…

 それで、「ヒューマンライブラリー」(HL)という、直訳すれば「人間図書館」というものができたそうだ。

 発祥の地はデンマーク(さすが!)。日本では明治大学で始まり、来年で10年目。もちろん自主的なもので、評判がすこぶるいいから「日本ヒューマンライブラリー学会」というものの設立も計画されているらしい(私も入会したい)

 

思うに、このことはなにも差別を受けることになりやすい「マイノリティー(少数派)」だけの問題、社会の制度や仕組みだけの問題に限られるのじゃなく、少数意見、考えを尊重する人間の態度、姿勢に通じますね。 

これこそが「民主主義」。マジョリティー重視が「多数決」重視につながり、それは一つに過ぎないのに、それこそが「民主主義」だと私は長いあいだ勘違いしていました。

 

 記事は終わりのほうで述べられていました。

「健常者とかマジョリティー(多数派)に属していると思うのに生きづらさを感じ、自己肯定感を求める人は増えているように思えます」。

「『普通』のはずの自分が抱える孤立感」

「『本』との対話は、『入館者』にとっても自分のつらさがどこから来るのかを考える手がかりになっているのかもしれない」

「自分のことを話し始めて、少し気持ちが楽になったとおっしゃる人もいます」

 

終わりの終わりのほうでは

明治大学では今年も11月27日に中野キャンパスで開催する。性的少数者LGBT)や障害者プロレスの選手、ロリータファッション愛好家、在日韓国人専業主夫などが『本』として並ぶ。学生たちがつくったチラシはこう問いかける。『“普通”ってなんだ?』」とありました。

2016年11月27日のことはもう終わっていますが、2017年のことしもまた開催されるに違いありません。

              

 

                  ちりとてちん

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