カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.3.20 独善的

       カメキチの目

 

 

 私は自分を独善的な人間だと思っている。

 そのことは夫婦喧嘩によくあらわれている

恥ずかしいが夫婦喧嘩が多い(かった)。客観的に多いのかどうかはわからない

ヨソさまのことは調べたことがない。ただ自分たちのそれが少なくないのは

確かな気がする)。

今は、それなりに「学習」し「反省」をくり返してきたので、前よりは減った。

 減ったが、なくなったわけではけっしてない。

 

 ケンカの原因の99.9%(例外は子育てをめぐってのときだけ)

私が独善的、自己中心的であること

 

 それがいけないことだとはずっと前からわかって

いたけれど、そのことの罪ぶかさまでは、最近まで

気づかなかった。

 私の場合、ここまで老いてやっと気づいたわけだ。

 

世は「新型コロナウィルス」でたいへんなことになっているが、「夫婦ケンカ」は

ちっぽけな、取るに足らない私事であるけれど、(比べられなくても)重大だ。

 

ケンカの原因が自分の非であれば反省しあらためる。それを相手が赦せば、

やり直しがきく。

新型コロナウィルス禍は人類の非がないとはいえない。

自然界からの人類への天罰ととらえて反省すればいい(と私は思う)。 

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 ウチの場合、100%私の「謝罪」で終わる。

 結婚以来この方(覚えている限り)例外はない。

 後が面倒だからとか、ともかく早く収束させた方が

ラクだとか、自分に非がない理由で謝ったことはない

 

 ケンカが終わり、冷静になる。

 人は冷静になって、初めて自分の非が明らかに見え

悪かったと反省できる。

 自分中心に物事を考えたこと気づく。

新型コロナウィルス禍は、「人類中心」への他の生きものたちによる地球規模の

反乱、警告かもしれない。

 

 ところで 、「自分中心」ということは、

個人としての自分を中心に据えることだから、

「主体的」ともいえるたいせつな態度だ。

 

 しかし私の場合は、「主体的」でなく「独善的」、

言い換えれば「独りよがり」というのだ。

 

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「独善的」「独りよがり」はいけないと、それなりに

わかってはいたが、その罪の深さにまでは気づいて

いなかった。

 反省が甘かった。浅かった。

「独善的」というのは始末がとても悪い。

「相手のことを思って…」と(錯覚にしろ)本気で思っているのである。

だから、謝りながらも言い訳する。

「相手」というのは、自分にとって都合のいいような(自分を中心にしての)

「相手」なのだということに気づいていない。

 

当の相手は、「私のことを思って…」してくれていることだからと、内心イヤでも

受けいれることがある。

それに耐えられるうちはよいが、我慢・鬱憤はそのうち破裂、パンクする。

 

 私は気づくまで、「人間とはしょせん独善的、

独りよがりにしかなれない」などと、勝手な理屈を

こね、自分を肯定していた。

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 思えばずいぶん泣かした。

 涙を流す彼女を横目に涙が出ない自分を嫌悪した。

 ケンカするたびに自分が嫌になった。 

(涙を流せば汚い自分も少しは浄化されると思ったが、涙は出ない)

「女の人は泣けるからいいな」と、セクハラのような

ことも思った。

 

  三行半をたたきつけられたら、そのときには冷静に

印を押さなければならないと本気で考えた。

 

が、そうならなくてよかった。

不自由な身体になったのは(けっしてそうではないとわかっていても、

自分にとっては)一種の「天罰」と受けとめるようにしている。

と、カッコいいこと言ったけれど、一緒になるときに、「幸せにします」と私も

人なみにカッコいいことを言ったが、不自由な身体になって「幸せ」の約束が

果たせなくなった。

 

が、「いったい幸せとはなんだろう?」「人生は思うにまかせない」とかなんとか

ごまかし、煙に巻いている(私と連れ添ったのがウンのツキと諦めてくれ)。

 

 

 

 

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                            ちりとてちん

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