『フランクル『夜と霧』への旅』 河原理子・著
を読んだ。
(グーグル画像より)
河原さんはとてもだいじなことが書かれているとは思いながらも、自分が若いとき
なんど読んでもピンとはこなかったフランクルの言葉・人生観作によって救われた
人びとが日本各地に大勢おられることを知り、仕事が新聞記者なので、日本各地の
そういう人々(ヨーロッパにフランクルゆかりの人々も)を訪ね、ていねいな取材
を通じてえたものを新聞連載記事にした。
本書は後日、それに手を加えて出版したもの。
私が強く感銘を受けたことを四つの言葉にしぼり、前と後にわけて書きます。
【引用】
①「一本の松明が消えたとしても、それが輝いた
ということには意味がある」
②「たとえそれが少数の人であったにせよ、
与えられた事態にどんな態度をとるかという
人間の最後の自由を奪うことはできない…。
そのような状況下であってもなお、
典型的な囚人になるか、人間としての尊厳を守り
人間として留まろうとするのか、決断することが
できるのだ」
(注:赤字、赤太字はこっちでしました。④、⑤の黒字カッコもこっちで)
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① 「一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある」
この言葉はいろいろと受けとられると思う。
「輝いた」ということに「意味がある」ととれば、「輝かなかった」あるいは
「輝いた」と思わなかった人生には、意味がなかったということだろうか。
フランクルは絶対、そういうことをいっているのではないと思う。
「輝いた」というのは、人として自分はどう生きようか?と考え、悩んだことが
あったことではなかろうか。
(結局その答は出なくとも、また考え悩む余裕さえない過酷な人生も)
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フランクルは強制収容される前から著名な精神学者で、彼の理論は
人生における「意味」というものを重要視するものだ。
たまたま彼はユダヤ人であったので、そういうことだけでナチスに捕まり、
強制収容所で生き地獄のような辛い目に遭った。
(そういうこの世の理不尽のせいで生きるか死ぬかの壮絶な体験をしなければ
ならなかった中で、生まれた言葉の意味を深く考えてみなければならないと
思った)
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② 「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題
…われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として
体験されるのである」
という12月4日の記事に書いた言葉に重なる。
「人間としての尊厳」という言葉を思うとき、死刑囚が死刑執行のために獄舎から
死刑台のある場所までの短い距離を歩いているときに水たまりがあり、よけたこと
(よけなければ自分に付きそった《連れていく》刑務官の服にその泥水がかかる)
が何かの本に書かれていたことを思いだす。
こんなある意味での極限状態を想定しなくても、「人間としての尊厳」と大げさに
言わなくても、何でもないような日常生活のなかでそれに近いことを感ずることが
ある。
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「典型的な囚人になるか、人間としての尊厳を守り人間として留まろうとするのか
決断することができるのだ」
フランクルの上の言葉を思うと、私は、戦場にあって相手を殺さなければ自分が
殺される、また反政府的な活動をしていて特別警察、秘密警察に捕まり、信念の
転向を強要され、仲間の居場所を白状しろ、と拷問を受ける極限の状態のなかで
自分はどういう態度をとるかと若いころよく想像した。夢にもみた。
老いたいま、想像や夢が現実になり、自分が「典型的な囚人」になりみじめな姿を
さらすことがないようするには、自由にもの言えぬ社会をぜったいつくり出しては
ならないと考えている。