カメキチの目
『私の生きた証はどこにあるのか(大人のための人生論)』
という本を読んだ。
(老いた「迷える羊」《可愛さは全然ない》の私は、いっぺんにこの本の題名に
惹かれたのでありました)
著者はH.S.クシュナー というユダヤ教のラビ(牧師のような職)で、
旧約聖書の「コヘレトの言葉」を読みとくかたちで人生の意味を見つける
というもの。
とても胸に響いたところがあります。
(きょうはその一つを紹介)
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年輪と共に知り得る不合理の世界
後半部分、6章「愚者の歩みは闇に」より。
【引用】
人間の理性の限界を尊重することと、理性の入り込めない現実の広大な闇の領域に
対して畏敬の念を持つこと…
〈年輪と共に知り得る不合理の世界〉
二十歳ではわからず、五十歳になってわかることのほとんどは
伝達できないものである。…
二十歳ではわからず五十歳でわかることとは、
お定まりの知識や決まり切った言葉ではない。…
言葉によって得られたのではなく、じかに触れたこと、目にしたこと、
耳で聞いたこと、勝利したこと、失敗したこと、眠れなかったこと、
全力投球したこと、愛したことといった、
この世界と自分自身、他の人々についての人間の経験と感情によって得られた、
人々、場所、行動に関する知識である。…
おそらく、そこにはあまりにもささやかで目では見ることのできない信仰や、
畏敬の念も含まれる。…
(注:赤字はこちらでしました)
「ふと気がついたら…」という表現があるけれど、
それを何度もなんどもくり返し、「30になっていた」
「40に…」「50に…」「60に…」「70に…」
(私は7〇くらいが寿命と思っているので、80、90は人生計画にありません)
いつの間にか年寄り(といわれる年齢)になっていた。
子どもや青年であったとき、永遠に自分は若いまま
だという厚かましい考えはなかったけれど、シワと
ホウレーセンだらけの自分の顔は想像したこともない
目の前のことに忙しく、想像するヒマ(想像する余裕)などなかった。
老いたいま、上の引用で述べられていることを
しみじみ感じる。
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(老いてきたから言うのか、そう言うようになったから老いてきたのかわからない
けれど)「この歳にならないとよくわからないことが
いっぱいあるなぁ…」と、口ぐせのように呟くように
なった。
歳を重ねるとともに確かに、「人生の不合理」を
感じるけれど「不合理なのが人生よ…」と居なおる、
(というか)あきらめる(「諦める」のじゃなくて「明らめる」)、
(というか)達観する・悟る。
「言葉によって得られたのではなく、じかに触れたこと、目にしたこと、
耳で聞いたこと、勝利したこと、失敗したこと、眠れなかったこと、
全力投球したこと、愛したことといった」
など自分の個人的経験、体験のほとんどは「言葉によって
得られたのではな」いので不合理で、他人には「伝達できない」。
しかし、不合理であっても、自分だけの、
一度かぎりの、代えの利かない貴重なもの。
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仏教に深くうなずいても、私はちっとも真面目で
敬虔な信者ではない。
しかし、ほかの宗教を含め「信仰」や「畏敬の念」
という「不合理(より大きな文脈からみれば「合理」かもしれない)
の世界」にとても親しみを覚える。
人間を人類とか社会、「集団」としてみると、こんなに便利で快適な世になっても
個人の努力ではかなわないさまざまな格差の存在に「不合理だなぁ…」とため息を
ついているけれど、一人ひとりの人生は(終わってみれば)「運命」としか
いえない「不合理」を感じる。
でもそれは、「不合理」と呼ぶべきものではなく「重み」のような気がするのだ。
※
きゃりー…さんや小泉今日子さん、井浦新さん、西郷輝彦さん…芸能人たちも
(仕事のことで黙っているのがいちばんなのでしょうに)黙ってはおられないと
こんどの検察庁法の改正案に声をあげた(「安保法案」のときは政治的な臭いが
強かったので、迷いもあったのだろう)。
こともあろうに、私利私欲のために国民を欺くという大罪を犯したきたことが
司法の場に引きだされたら不味い(安倍の大嫌いな韓国では大統領を辞めさせる
ほどきちんと三権分立が機能しているというのに)ので、その前に裁判沙汰に
ならぬよう検察トップを黒川にすればいいという。
安倍晋三なる人物に怒りでブルブル震えてくる…。
〈オマケ〉
「安倍(麻生)が…」「トランプが…」と私がカッカしているとき、「そのうち、
あの人たちも亡くなるんだから…」次いで「熱くなっていては食べているものの
味もわからなくなる」とツレになだめられる。
「そういう問題じゃないのだが…」と心でつぶやきながら、「あの人たちには
キンピラゴボウの美味さはわからないだろう」と毒づく。
《オマケのオマケ》この前、そのキンピラゴボウを食べていたら(ウチのには
ピーマンが具材として入っている)ピーマンの味がわかるようになったら大人に
なったといえるのかな?、とヘンなことを思った。