カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.1.22 海・築地

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3回目のきょうは、海、築地です。

(「築地」というのはあの筑地卸売市場のこと。本では「公設市場」の代名詞としてつかわれている)

 

 【引用】

9 海が売られる

漁業を成長産業にせよ 

水産庁は養殖業への企業参入を加速させ、水産業を「成長産業」とする改革案を

発表した。

自治体が地元の漁業協同組合に「漁業権」を優先的に与えるルールを廃止し、

養殖用の漁業権を、漁協を通さず「企業」が買えるようにする。

自治体から直接漁業権が買えることになれば、コスト重視の企業はわざわざ漁協に

入らないだろう→(漁業協同組合の存在意義に関わる大問題)

だが漁協を支える組合員が出資しなければ、漁場と環境を維持するための浜の清掃

や稚魚・稚貝の放流作業、漁場の定期検査や造成、海難事故の際の救助など、

公共の資産である海を守ってゆくための必要経費が出せなくなってしまう。

漁業権を投資商品にせよ

「海は誰のものでもないはずだ」

宮城県の村井知事はそう言って、県の漁業権を企業が自由に買えるようにした。

一番高く買った者が、好きなように使える権利を手にすべきだという意味だ。

グローバル化した世界では、利益を出したい投資家や企業群が、公的資産である

はずの、種子や森、地下水や遺伝子、CO₂を排出する権利に至るまで、

何もかもに値札をつけてゆく

海も例外ではなかった。

(1970年代後半よりアイスランド、オランダ、カナダなどが海を使う権利を

商品化した「譲渡性個別割当」《最も多く金を出した者が海で漁業する権利を

持てる》があったが、かつての日本にも似たような制度があり、漁業権は買い付け

や借金の担保に売買されていたが、その弊害を防ぐため)戦後、漁業権の貸付と

売買を禁止するために登場したのが、「漁業法」だ。

「漁業法」によって、漁業権は金のあるなしではなく、地元の海で働く漁業者が

メンバーとなって出資する漁業組合に、優先的に渡されるようになった。

漁業権を投資商品にせよ

もし、再び戦前の体制に戻し、企業が自由に漁業権を買えるようにすれば、

原発建設は今よりずっと楽になる

海は、投資商品としても優秀だ。漁業権を複数買い占め、広域枠が欲しい企業に

転売すれば、かなりの高値がつくだろう。

 

魚が国民の重要な食糧である島国日本で、地元の漁師がやっていかれなくなったら

どうなるだろう?

テレビでは無責任なコメンテーターが、魚より肉を食べるからいい、

魚を食べたければスーパーで輸入魚を買えばいい、と言う。…

だが農業や漁業という第一次産業が「共同体」や「地方の雇用」、

「環境」や「国民の食糧供給」という、100年単位で国が守るべき資産だという

考えは、規制改革会議と財界の描く未来の青写真には明らかに存在しない

              和歌山県漁業協同組合連合会|漁協の指導・購買・販売を実施|JF和歌山漁連

                   (グーグル画像より)

10 築地が売られる

世界に誇る公設卸売市場を民営化せよ

2018年6月15日。「卸売市場法改正」、公設卸売市場の民営化(が可能になった)

大正7年米騒動で、市場原理に任せて米価格の暴騰を招き失敗した政府が、

「巨大資本による買い占めを許してはならない」として、約80年前に作った

このシステムが、私たち日本人の食の安全と安定供給をずっと支えてきたことを、

今の子供たちは知っているだろうか?

各地の卸売市場が生鮮食品の需給を調整しながら価格を形成し、

築地のような中央卸売市場は食品衛生検査員を派遣して食の安全を守るのだ。…

だが卸売市場では、イオンやダイエーのような大手小売業者から地方の小さな

商店まで、全て平等に扱われるので、作ったものを卸業者に委託すれば、競りに

かけられる時も、輸送コストや出荷量で差をつけられる心配はなくなる。

行きすぎた価格競争で一人勝ちした巨大スーパーが流通を独占することもなく、

目利きの仲卸業者が、その時の需要と供給にあった適正価格をつけてくれるからだ

「日本は食の多様性がありすぎる!」と撤退した大手フランス企業

(東京中央市場の人は言う)〈質の良いものを作る「生産者」を育て、良いものを

高く買うことで生産者を守る「卸業者」を育て、品質を見極め、適正価格をつける

目を持つ「仲卸業者」を育てる〉→巨大資本が市場を独占しつつある今の世界で

「近代の傑作」と呼ばれる優れた流通システム

築地を解体するステップ

築地のような中央卸売市場を開設できるのは、人工20万人以上の自治体に

限られている。だが政府は今回の法改正で、一定以上の大きさがあり、

条件を満たせば、企業が開設できるようにした。

全ての生産者が平等に扱われていたゆえに膨大な種類の生鮮品が市場に出ていたが

公的なルールが外され自由競争になれば、生産規模や交渉力による力の差で弱者が

振り落とされ、全体の種類は減ってゆく。

入荷した品は市場の中だけで取引するというルールも廃止され、市場の外でも

売ることもできるようになった。実際この方法でネット販売などをする業者が

増えたことによる仲卸業者の廃業が問題になっていたが、…需要と供給のバランス

そして品質で適正価格をつける仲卸業者がいなければ、全ての取引の判断基準は

「価格」だけになってしまう。

仲卸業者が減ってしまうと、小さな八百屋のような中小小売店は立ちゆかなくなり

地方の商店街のシャッター通り化はますます加速するだろう。

今まで自治体がやっていた食の安全についての指導や検査、監督権限を民間企業に

丸投げすることで、食の安全を守るという公的な役割も保証されなくなってしまう

築地VS豊洲? 真の目的は卸売市場の廃止

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                       (グーグル画像より)
 

(注:黒字の()〈〉、下線太字はこっちでしました)

 

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「今だけカネだけ自分だけ」

をどれほど強く感じたことだろう。 

同時に、自分がいかに物事を知らないか、知っていると思っていても正確には

知っていないことを痛感した。

 

「漁業権」のたいせつなことも、「卸売市場」の意義も。

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漁業権

 

・子どものころの魚釣りで、アユ釣りの大人を見かけた。

アユを釣ろうとすれば、お金を支払って「漁業権」を買わなければならない。

(アユ釣りは指定の釣具店かどこかでアユの漁業権を買わなければならない。私の地方では漁業権を

「カンサツ」という木札であらわし、漁協の人から求められれば提示する

アユ釣りは目だつので買わざるを得なかったのだろうが、ウナギはどうだった

だろう?

(ウナギ漁にはいろいろな方法があるが、私の地方でいう「つけ針」というのは子どもでもできる

簡単なウナギ釣漁法で、私もよくやった。

その仕掛けは夕暮どき、20㎝ほどのさや状の竹棒に1mくらいのタコ糸を結びつけ、糸の先端のウナギ

専用の太い釣り針にエサとしてドジョウかテッポウミミズを突き刺したのをウナギがやってきそうな

小川土手に固定する。

翌朝の薄暗いあいだに釣れているかどうか竹棒を上げて確認するが、ときどき固定場所を忘れた。

「つけ針」のような、ウナギが目的であっても子どもの遊びの延長のようなものはのぞき、商売を

目的の大人のウナギ漁は「カンサツ」の対象だったのだろう。

遠い昔の話で、養殖ウナギが山里の小川まで上ってくることはなかっただろうからみんな天然だった

 

・海や大地という自然を相手に働く人々、第一次産業にたずさわる人々の、

その仕事をする「権利」というものを深く意識して考えたことはなかったが、

よく考えれば、第二次、三次産業でも営業するための権利などさまざまな権利、

保護があって世のなかは成りたっているんだという思いを新たにさせられた。

 

「海は誰のものでもないはずだ」宮城県の村井知事は言ったという。

自然はみんなのものという誰も反対しそうにない言葉をのべ、

県の漁業権を企業が自由に買えるようにした一番高く買った者が、

好きなように使える権利を手にすべきだ」という。

そうすることが、宮城県は財政的に豊かになるというわけだ。

はたして村井知事は本気でそう言ったのだろうか?

各地の地方自治体の弱みにつけこんで、その自治体の自治」「自主性」のごとく

見せかけ、国は自分のやりたいことを押しつけているのが真実だと、ヒネクレ者

(私)は感じる。

(知事の発言が「本気」かどうかはわからないけれど、水道事業を民営化した地方自治体も、

民営化しなくてすむ道を模索したあげくの果て、「断腸の思い」「やむを得ず」の判断だったのに

違いない《そうは言っても、竹中平蔵と意気投合しそうな大阪の橋下徹のような前首長もいたし、

そういうのは率先して民営化した。国のやらんとすることの「露払い役」を演じている》

地方自治体の財政運営はどこも火の車。ところが国の財政事情がたいへんとは国民の生活に直結する

分野だけで叫ばれるだけで、軍事、そのほか私たち国民が知らないところでムダ、むかつく使われ方を

していても、火の車だとはあまり聞かない。

国は膨大な赤字続きでも「国債」という形で自由に借金し、自由におカネを製造できる。

日本のお金=「日本銀行券」は国のみが作れるから、足りなければ刷ればいいのだ。

先に述べたように、水道民営化も漁業権のことも、国は、自らが地方自治体を財政苦境に追いこむで

地方自治体の長に規制緩和、民営化の道を開かせようとしているみたいだ。

「日本は民主主義国家ですから、国が上からの力で自治体の水道事業や漁業権を民間市場に開放させた

のではありません。地方分権という民主主義理念から、地方自治体の意向を尊重したい

 

宮城県は東北大震災の大犠牲県。「復旧」「復興」の過程のなかで今回の村井知事発言が出た。

原発立地の自治体だって、本音は原発反対であっても、住民福祉を成しとげたいから国や電力会社の

要望に応じたのだと思う。財政難の自治体にとって、信じられないような多額の補助金はあまりに

魅力がある 

 

「共同体」や「地方の雇用」、「環境」や「国民の食糧供給」という

100年単位で国が守るべき資産だという考えは、

規制改革会議と財界の描く未来の青写真には明らかに存在しない

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卸売市場 

 

・「大正7年米騒動で、市場原理に任せて米価格の暴騰を招き失敗した政府が、

「巨大資本による買い占めを許してはならない」として、約80年前に作った

このシステムが、私たち日本人の食の安全と安定供給をずっと支えてきたことを、

今の子供たちは知っているだろうか?

米騒動」のことは、富山の生活がとても苦しい主婦たちが生きてゆくために

やむなく米問屋をおそったと教科書にも載っていたので知っていたが、これらが

原因となり、「巨大資本による買い占めを許してはならない」として、公設の

卸売市場がつくられたとは大人でも、私は知らなかった。

 

・私たち資本主義の国では、人々の「需給バランス」と「自由市場での自由な

取引競争」によって価格(値段が決まることになっている。

生の食べものは自然が相手なので、ときには不作・不漁で値段が高騰することは

あっても、安定して供給され、しかも安全を確かめられ、安心して私たちの食卓に

のぼる。

供給量は、人口の急激な変動がないかぎり、その地域の胃ぶくろはだいたい

決まっているだろうから、需要は予想がつき、生産者は損をしないように必要な

質と量を用意する。

食べものに関わることは人間だけではなく生きものにいちばんたいせつな営み

だから、これだけは「自由市場での自由な取引競争」に任せてはならないと

公設の卸売市場ができたという。

公設の卸売市場のすでにある世のなかに生まれ、生きているので、その役割の

たいせつさは何となく感じてはいても、ここまで考えたことはなかった。

 

・「安さ」ということで、今ではあたり前にある100円ショップを思う。

「自由市場での自由な取引競争」の結果、こんなに安価でこんな優良な(ときどき

ガッカリするけど「まっ100円か」とあまり損した気はしないですむ)商品が手に入り、

消費者の自分は嬉しいけれど、生産者側に立ったらどうなんだろう?(複雑!)

安心して暮らしていければ、誰でもいいものをつくりたい、安値がつくからと

捨てはしないだろう。

 

全ての取引の判断基準は「価格」だけになってしまう

 

 

 

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                           ちりとてちん

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