ブログをやろうと思った動機は、自分の人生にはまったく予定になかった障害者に
なり、「さて、どういう気もちでこれから生きてゆくか…」と悩んでいたころ、
偶然、本屋さんで禅語の文庫本に出会い、知ることになった言葉がとても新鮮に
心に響き、その禅語を多くの方に知っていただきたいからだった。
(それもあるけれど書くことが自分には復習になるからです。 それに前回書いたように、退職して
自由な時間がいっぱいできたからです)
禅語も知っているものが少なくて底をつきかけ、このごろの記事はもっぱら
本のことばかりになっている。
(しかし、禅語も本もテレビも要はみなさんに「よろしかったら聞いてください」ということばかりで
同じでした)
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私の読書記事はたいてい「読んでよかった」で始めるけれど、そういうものしか
記事にしないからである。
若いときから好きな本は読みたかったが、仕事をしていたら疲れるし、眠たいし
新聞でもウトウトした。
ひと月で一冊も読まないときがあった。
(昔は本は買った。買っても読むのがそういう調子だから本代はしれていた)
図書館があることは知っていたが利用したことはなかった。
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よく読むようになったのは、退職してからのこと。
(もちろん図書館で借りる。でないとお金が続かない)
ところで、
読みたくても、読める条件がないとダメなのだ。条件は二つ。
① 体が疲れていないこと。読みはじめた途端に睡魔に襲われるようでは
いけない。
② たいせつなことだけど、読みたいものが見つからなければならない。
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この記事のはじめに、(「それもあるけれど、書くことが…」と)小文字で遠慮がちに
書いたように、禅語と同じく読書記事も復習するつもりで書いている。
〈オマケ〉
「復習」はいいのですが、本からの引用(それも長文)があまりに多いため、そんなの退屈だ、
読む気が起きない、上手にまとめられたレビュー記事がネットにある…と散々、ツレに言われた。
(愛読するブログの読書記事は、本の内容をわかりやすくまとめて紹介され、ご自分の意見や
感想も述べられている。とても私にはできそうもなく、とくに感じた点のみを、なるべく短く書こう
と思っている。今後もよろしくお願いします)