① 「世界四大文明」史観をうたがった
(「長江文明」と「縄文文明」)
長江(昔のいい方で「揚子江」)流域で近年、広大な遺跡の歴史的発見があった。
常識のようにいわれている「世界四大文明」をうたがわなければならないほど
重要なことだと、著者たちがいわれるのになんどもうなずいた。
ーーーーーーーーーー
■ 「長江文明」
【引用】「〈長江文明は森の文明〉
彼らは金属器をもっていませんでしたから、森林を大規模に破壊することをしなかった。
せいぜい森林の中では焼畑をし、水位の高いところでは水田耕作をやっていたわけです。…」
「今までの文明観は、麦作農耕地帯で打ち立てられた概念です。
新たに稲作農耕地帯で生まれた文明もあったという視点をもつ必要があるということです。…」
(注:「」〈〉()→、太字太字はこっちでしました。なお、以下の引用についても同様)
遺跡からは文字も金属器も発見されず、いまでも「四大文明」の定説は
くつがえされていないようだ。
せめて、「長江文明」の衝撃は教科書には載っているのだろうか?
(歴史が欧米が中心の世界では、「文字」「金属器」も「文明」の定義には必要らしい。
なんでキリスト誕生のときが0年と定められているのだろう?《欧米ではそれでいいだろうが、
それを世界標準とするのはいかがなものだろう》
天皇制を信奉しないので誕生日さえ「昭和〇〇年」と書くのがイヤで《「昭和」の指定がなければ》
西暦年で書いていた。しかし今では昔ほどこだわらない)
それに、〈長江文明は森の文明〉だったから「金属器をもっていません…
森林を大規模に破壊することをしなかった」。
「稲作」で米を、「漁撈」で魚を食べた。
「四大文明」は、「麦作」で麦を、「牧畜」で肉を食べた。
ーーーーー
■ 「縄文文明」
【引用】「土器というのは森の産物だと考えています。…
土器をつくるには、まず軟らかい土がないと駄目で、それには森林土壌が最適.。…
焼くためには燃料の木が要る。こねるためには水が要ります。
森にはそのすべてが揃っている。…
土器を作り出したことは、非常に革命的なことです。
違う種類のものを一緒に煮て、違う味を出せるわけです。海からハマグリを山からは木の実や山菜を…
ごった煮に…煮沸(→殺菌)…煮ることでやわらくして食べられる…」
そちらより縄文人の定住生活のほうが質が高かったといえるのに、
なぜ縄文人は農耕を始めなかったのか?→理由は二つ)
①(当時の世界的な)寒冷期の環境の激変がなく、食糧危機に直面しなかった。
②農耕(イネ科の野生種の生育)にはどうしても巨大な草原が必要。日本にはそれがない。…
(縄文人が日本列島で独自にイネ科の野生種から《麦にしろ米にしろ》発見することは不可能だった。
その点、西アジアでは広大な草原があって、さまざまなイネ科の野生種のなかから麦が発見された)」
(グーグル画像より)
「縄文時代」が世界史的に注目されることを、私はこの本ではじめて知った。
(1997年、国の特別史跡になった三内丸山遺跡の価値が脚光をあびた。
当時は「スゴい!」とは思ったけれど、ただそれだけだった。
ずっと後に縄文時代にひかれるようになり、三内丸山だけでなく遮光器土偶の亀ヶ岡、岩手県の
大湯環状列石遺跡にも行った)
むかし学校では、「縄文時代・弥生時代」というひとくくりで習った。
その時代区分だけは頭にあって、縄文が弥生より長いことは知っていても、
縄文が現代から約1万年前から7700年間もあるのに対し、弥生はその後のたった
500年間しかなかったという細かなことまで思うこともなかった。
(縄文時代が、日本だけでなく世界という観点からも、人類史にどれほど意義ぶかいものだったかを
この本を読んでつよく感じた)
ーーーーー
■ 「長江文明」+「縄文文明」
【引用】「〈長江流域から(日本列島に)やってきた人々〉
なぜ雲南省の少数民族の文化と日本の文化が似ているかというと、
もともと両者は長江流域に住んでいた人々だったからです。…
漢民族の拡大(北方から南下)によって移動せざるをえなかった。…」
「〈弥生社会を生み出した民族大移動〉
(鳥居と同じものは雲南省の少数民族にたくさんある)鳥居信仰がやってくるのが弥生時代…。
太陽信仰は縄文時代からありますが、アマテラスは弥生系です。…
今までの通説では、弥生文化の始まりは朝鮮半島経由で、大量の人々が列島にやってきた…
そうであれば当然家畜をもってきたであろうし、鉄器を大量にもってきたでしょう
→(実際はそうではなかった)…
弥生文化の基本をつくった人は長江の越人であった可能性が高い。…」
「縄文人の場合は、家畜とまったく無縁の世界からスタートした…
そのことが、その後の日本文化に与えた影響は非常に大きいという気がします。…」
「基本的には縄文文化は魚と木の実がセットだった。…ヨーロッパの場合は、獣、牧畜、家畜です…」
「長江」と「縄文」。これら東アジアのふたつの文明の関係、共通点はあまりに
多い。
金属器をもたず(だからともに「森の文明」)、文字ももたなかった(必要ではなかった)
----------
とても考えさせられた。
以上の記事でもふれており重複しますが、以下、「砂漠はなぜ生まれたのか?」
「森と土器」、「水田」、「長江と弥生」ということについて。
● 砂漠はなぜ生まれたのか?
「四大文明」は大河のそばに起きた。定期的な大河の氾濫により大量の肥沃な土壌
がもたらされ、大勢の人力(=労働力、おもに奴隷)を使って大規模な灌漑をほどこし
麦作農業(家畜を飼いながら)をおこなった。
(灌漑農業の結末→大規模な土壌の悪化をまねき、緑がほんのわずかな砂漠地帯を生みだしたとは
学校で教わらなかった。
ちなみにヨーロッパでは個々の農家による《日本と比べれば格段に少なくても、雨水にたよる》
「天水農業」が中心であり、それが農業の自立にもつながったとのこと)
● 森と土器
「土器というのは森の産物」。
森の土(素材)、森の木(燃料 エネルギー)、森から湧きでる水。
「土器を作り出したことは、非常に革命的なこと」
(博物館で縄文の人がつかった土器を前にしても私はごった煮など思いうかべたことはなかった。
数年前に長野の「野尻湖ナウマンゾウ博物館」に行ったときも矢じりをつけた棒でナウマンゾウを狩る
ところは想像しても、焼かれ、土器で煮られたナウマンゾウまでは想像がおよばなかった)
● 水田
日本では里ならどこでもふつうに見られる「水田」が、世界的に(環境史からも
文明史からも)どれほど意義ぶかい、価値のあるものかを痛感した。
● 長江と弥生
いまはウソのようになくなったが、「インバウンド」で外国からの旅行客がふえ
韓国、中国の人をよく見かけるようになった。
顔の印象にかぎれば、韓国の人より中国の人のほうが日本人によく似ていると
感じた。
テレビで中国雲南省の少数民族による高地での水田棚田をみると日本とそっくり、
働くひとも棚田も。