カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.8.16 また「在るものを愛すること」

自分のブログは「読書感想」がほとんどで書き終えればだいたい忘れるが、

5月3日の記事在るものを愛すること」はずっと心に引っかかっていた。

 

在るものを愛すること

漠然とした表現でわかりづらいが、何かたいせつなことのような気がし

心に引っかかり続けていた。

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『倫理という力』前田英樹・著)という本の感想記事で在るものを愛すること

(=よく生きる」)東京物語紀子の姿にみたものだった。

東京物語』は、上京した老いた両親と東京に住んでいる子どもたちの姿をとおして家族の絆、

老いと死などを描きだした小津安二郎監督の1953年制作の名画。

忙しさを理由に老いた両親との対応をしぶる子どもたち。その中で戦死した次男の嫁、紀子だけが

心から応対、相手になる

     ↓

行動や生活や政治のなかに探し回る倫理よりも、もっとはるかに

根本的な倫理がある。

在るもの〉への黙した信仰と常にひとつになったものだ

 

在るもの、つまり存在を尊ぶこと。

それはすべての徳とか倫理といわれる人間の姿勢・態度のうちで

最もだいじなことではないか、ということ。

 

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最近、鶴見俊輔という本を読んだ。

 

 

「大国」といわれるところはどうしてこうもバカなのだろうか。

(大きくなると傲慢になるのは人間のサガなのだろうか)

半世紀むかしにはベトナム戦争があった。

 

いまのウクライナは「大国」ロシアが仕かけたが、ベトナムは「大国」アメリカが

仕かけた。

(正確には「軍事大国」。

日本のように国土は狭い「小国」でも、「軍隊」ではなく「自衛隊」と称していても「軍事大国」。

ウクライナのこともあるし、「大国」中国の動きも気になり、軍事費は増えるばかり。

ウクライナのこともあり物価は上がってばかり。

われわれ無収入の一般老人の年金は減らされてばかり。

いつまで国民は黙っているんだろう?)

 

ベトナム戦争のときも世界的な反戦運動が起こり、日本には「ベトナムに平和を 

市民連合(通称「ベ平連」)いうのがあった。

その中心の一人に鶴見俊輔さんがおられた。

 

最近、たまたまその人の本を見つけて読んだ。

その中に、在るものを愛すること」という言葉そのものはなくても、

そのことに通ずる感覚を強く感じた。

(引用は、著者の遠い子どものころの思いを述べたもの。たんに懐かしんでいるものではなさそう。

大きな意味で在るものを愛すること」ではないかと思った

 

【引用】

自分がなければならないという理由は、薄い。自分が消えてゆくということへの恐怖も、薄い。…

 

道ばたの草のなかにすわっていて、ふと、このあぶの羽音も、はえの羽音も、それをきいている自分の

気もちも、書きしるされることなく過ぎていってしまうのだな、と思った。

その時のへんな淋しさを、何度も、そのあとで思いだした。…

 

         


この二分ほどは、自分にとってさえ、おそらくは生きていりかぎり思いだしさえしない時間になる

だろうし、地上の誰も、自分のこの二分ほどを知るまい。およそ人間の歴史にとって意味のない時間、

というよりも、その意味を確定できない時間なのだ。

そういう時間があることを思いうかべてみることが、今は、たのしい。…

 

こんなことを考えることには、何の意味もないか。

わたしは、そうは思わない。

存在の全体をどのようなものとして思いうかべるかが、わたしの生涯の意味を決定する。

そして、それをどのようなものとして思いうかべるかは、存在のほうから強制してくるものではない。

究極の問題については、ああも言える、こうも言えるという以外に、わたしに何が言えよう

 

 

 

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                             ちりとてちん

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