ただある(いる)こと、ただ存在する(している)ことの不思議や神秘を
感ずることは誰にもあるだろう。
私にもある。
静物画。
テーブルの器に盛られたリンゴを描いた静物画というのは、その絵のまん中は
リンゴなので主役はリンゴかもしれないが、今ここにある器やテーブル、
またその部屋と一体となって存在することの不思議、神秘をかもし出し、
見る者の感覚に訴えてくる。
きょうは「在るものを愛すること」。
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初めに引用を。
【引用】「どんな理性も、この世に存在を与えることはできない。
…
〈「忙しい」と言うな〉
行動や生活や政治のなかに探し回る倫理よりも、もっとはるかに根本的な倫理がある。
それは、〈在るもの〉への黙した信仰と常にひとつになったものだ。
…
私たちは、彼女を真似できないだろう。
けれども、彼女を真似たいという欲求が私たちに実際に起こらなかったら、
『東京物語』はつまらない映画である。
…
「忙しい」と言うことは、所詮身勝手な愚痴に過ぎない。
紀子にとって、義父母がいること(は)…自然の「必然性」の領域に属する。
だからこそ、紀子は義父母を愛するのである。
「在るものを愛すること」が、彼女にはできる。→よく生きるということ
(他の動物と比較すればわかるように)人間の死は、死そのものの成就のように実現される。
…
生きる目的、という考え方は、私たちにはどうにもならないこうした死の成就と別に成り立つことが
できない。→「生きる目的」→「在るものを愛すること」」
(注:「」〈〉→()、太字太字、黒字はこちらでしました)
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二つのことを書きます。
①は、「どんな理性も、この世に存在を与えることはできない」
① 「どんな理性も、この世に存在を与えることはできない」
(先に書いた静物画《や写真》のことを思う)
「ウソをついて人を欺いてはならない」というようなわかりやすい道徳とは違い、
「理性」や「存在」など抽象的な言葉を使うと、倫理学っぽい感じがしてとっつき
にくくなるが、言わんとすることはわかる。
極限(何が極限かはわからない)まで科学技術が進展しようと、「無」から「有」を
生み出すことはできない。
そこに何かが「ある」「いる」「存在」するという事実はそれだけで完結している
成り立っているということ。
(これほど辛く苦しいのなら生きていてもつまらない、死んだほうがましだと悲観して自殺。
また、祖国の自由・尊厳のため身を挺して兵士に志願、しかし死亡。
二つは死に方は異なっても「死」ということで同じだ。
死んだら蘇らない、再生はありえない。「存在」は潰える、消え去る。
《可能な限り元に近い、よく似たものはつくりえても、その「個」そのものは復元できない。
再び「存在」させることは絶対できない》
ウクライナ《はもちろん、あらゆる戦争》で死んだ《これから死んでいく》人の「存在」の
唯一絶対性を痛感する。
プーチン、ロシアが先に手を出したのでこの戦争の責任は明々白々。
プーチンとその手先をぶちのめしたい気もちでいっぱいだ。
だが、ウクライナの人々の失われた命、亡くなった「存在」《死者》は元に戻らない。消えたのだ。
プーチンとその手先をぶちのめしても、復讐しても、死んだ命は戻らない。
殺戮という「自然の摂理」《これこそ倫理》に反した「存在」の消滅は絶対にあってはならぬ。
「祖国の自由・尊厳」をはじめ、どんなに人権がたいせつでも、それを享受するはずの主体、
人間の命が失われ、「存在」が消滅していく。
それは仕方のないことなのか。 生き残った者のため?子どもたちのため?「正義」のため?)
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② 『東京物語』
(〈「忙しい」と言うな〉以後の引用文はみんなこの映画のことです。
映画《グーグルより》
【引用】「尾道に暮らす老夫婦は、東京にいる子供たちを訪ねに行く。
しかし、長男や長女は生活に追われて上京してきた両親に構う暇もなく、寂しい思いをさせる。
そんな中、戦死した次男の妻だけが、取り残された彼らに温かい心遣いを見せるのだった」
「戦死した次男の妻」は紀子という)
■ここでのはじめの引用、
「行動や生活や政治のなかに探し回る倫理よりも、もっとはるかに根本的な倫理
がある。…〈在るもの〉への黙した信仰と常にひとつになったものだ」とは、
〈在るもの〉「存在」を尊ぶことであり、それはすべての徳とか倫理といわれる
人間の姿勢・態度のうちで最もだいじなことだと思った。
■紀子も忙しい。
しかし、「「忙しい」と言うことは、所詮身勝手な愚痴に過ぎない。
紀子にとって、義父母がいること(は)…自然の「必然性」の領域に属する。
だからこそ、紀子は義父母を愛するのである」
紀子には「在るものを愛すること」ができる。
それは「よく生きる」ということ。
とてもむずかしいけれど、せっかく人として生まれたので、よく生きたい。
「在るものを愛」しなければ。