カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.11.11 つながる(社会)

④つながる(社会)

 

つながり」「」のいちばん直接的で身近なものは、いうまでもなく「血」。

次に身近なものは「地」。

(本ではさいごに「社」、つまり勤め先など血でも地でもないものもありました

 

        


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はじめは血にもとづく「イエ」、「族」。

【引用】「〈族-自然と文化をつなぐもの〉

では人は自由に、恥ずかしげもなく振る舞う。

ヒトの「生き物」としての側面を「族」に留め置くことで、それを「社会」の側に持ち込ませず

「社会」が「社会」であることを可能にする。

ヒトの「自然」を安全に囲い込むことによって「社会」を可能にするシェルターないし安全弁、

それが「家族」という社会組織の根源的な役割

 

では、たいていのことは安心して行える。恥ずかしげもなく振る舞」える。

」は自分のいちばん身近なアイデンティティみたいなもので、ふだん、

意識することはない。

それを、これほど強く新鮮な気もちで意識させられたことはなかった。

 

のなかではパンツだけの姿も平気だが、外や他人の前では決してしない。

(して「軽犯罪法違反に引っかかる」という話でなく、アホか狂ったとみられてしまう

 

はこれ以上ないほどくつろげる、癒される空間だ。

そう思うと、虐待やDVの地獄を想わざるをえない。

(「ひきこもり」はひきこもれる家があるからひきこもれる。

ひきこもれない、家で安らげないことはどれほど残酷なことだろう…)

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また「」は、「生活の場としての「庭」」でもある。

食って生きぬく、生活していくための経済の場。

【引用】「〈産業社会のための家族〉

近代家族は、マーケティングのど真ん中に位置付けられていた

 

NHKニュースのサイトでは「値上げの10月…。値上げが予定されている食品や

飲料はなんと6500品目以上。さらに外食チェーン店でも次々と値上げ」とある。

市場、マーケットの商品の値上げがつづいても、死ぬわけにはいかない、

生きていかねばならない、食わねばならぬ。

身体の維持に必要なものは摂取しなければならない。

(胃ガンで手術し胃をなくした。術後の定期受診を五年間をめどにやったが、再発の恐れはないので

受診はやめた。が、そのあと何年かして体調不良が出はじめ、耐えられなくなり、医者にかかった。

自分ではわからなかったけれど、ひどい貧血症状だったらしい。その医者によれば、胃をとった人は

ビタミンB12がつくられなくなり《胃で自然につくられる》外から入れなければならないとのこと

以降は毎月注射で入れてもらっている》。

身体の維持に必要なものは身体自身がつくり供給している自然の働きを実感し

身体はほんとうによくできていると思った)

 

しかし、「生きる」こと=「買う」ことではない。

それが生活するうえでほんとうに必要なのかどうか?「値上げ」をチャンスに、

考えてみるのもいいと思った。

(このごろ、「○○は値段は変わらないのに前とくらべ中身がへった気がする」とツレが言うのが

だんぜん増えた《本人だけの気もち、感じだけではないと私も思う》

 

            


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次に「地」。

ここにはムラ(村)、コミュニティの意思決定ということで、興味ぶかい話が

述べられていた。

(これも前回と同じく高取正男という方の言葉を著者が引用。

民俗学の調査でいろいろな村に訪れていた高取はある村の寄り合いで、物事を決める際の事寄せ」に

強く惹かれ自著で述べる)

【引用】「(村人たち各々が)意見を直接的に表明するのではなく、情報提供の形を取り、

事に寄せて婉曲的に表明することによって、意見の対立を可視化させないようにする。

(それは「ムラの秩序を維持する生活の知恵」といえる)

 

つまり、「ワシの意見はこうだ」と直接的に表明するのではなく、

(議題の内容にふかく関係する物事の情報)○○について▢▢といわれているらしいが

ワシとしてはどうもなぁ…。△△というのもあるようだ」というふうに。

 

村の寄り合い、町内会、自治会、ミュニティのような小さな集団などでは

(議題にもよるが)意見の対立は敬遠されやすい。

その集団、組織のまとまりが何より重視される。

 

議題がもめたとき、事に寄せて婉曲的に表明することによって、

意見の対立を可視化させないようにする」ということは、(引きつづき高取からの

引用した言葉によれば)内生した「民主」」というべきものだった。

寄り合いなどの少人数の話し合いはお互いが顔見知りであることが多く《分断を避けようと》

大勢と異なった意見は表明しにくい。

けれど、直接、異見をいうのではなく事に寄せて婉曲的に表明する」というゆるやかなしかたでは

最後は多数決という民主的な手続きで決せられるのだけど、時間がかかっても一人ひとりの思い考えが

みなに聞かれ、結果的に自分の意見は却下されても納得でき、村などが分断される恐れも起きない

 

 

 

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                             ちりとてちん

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