『「助けて」が言えない-SOSを出せない人に支援者は何ができるか』
松本俊彦・編 という本を読んだ。
(私は30前から60で辞めるまで働いていたのが小さな子が多い児童養護施設だった。
テレビの刑事やサスペンスものに出てくるようなドラマチックな話はなかったが、職業がら「支援者」
という立場にあったので、それなりにいろいろあった。
脚色すればドラマに仕立て上げられそうなこともあったけど、この本にあったような深刻さはない)
いじめ、依存症、心の病、自殺願望…さまざまな問題を抱えて苦しんでいるのに
「助けて」「ヘルプ」が言えず悶々としている人たちがいる。
そういう人たちを(仕事であろうとなかろうと)援けようとする者が気をつけなければ
ならないことをさまざまな問題ごとに分けて書いてある。
(もうすぐ後期の老人なろうとしている私には、「認知症」への援助という話が強く胸にこたえた。
いわれていたことは「認知症」だけでなく、人間としての大切な態度だと思った)
「〈認知症のある人と援助希求〉
BPSD(周辺症状)という言葉で解釈するのではなく、援助希求能力という視点で(とらえることが
とても大切だ。でないとBPSD(周辺症状)という用語の陥穽にはまってしまう〉
・認知症のある人のこころや行動に変化が生じた時、それをBPSDとして認識した支援者は、
変化の理由が認知症のもたらす脳の変化であると解釈していることが多い。
・認知症による脳の変化というよりも「聞き取りにくい、伝えにくい、私が困っていることを
わかってほしい」という困難さとして理解することができれば、薬で対処するのではなく、
補聴器を使用していただくという解決策にたどり着きやすくなる。
(→「身体の不快な症状をなんとしてほしいという願い」かもしれないと認識すること
→援助希求として理解)
…
〈妄想という解釈が生み出す問題〉
・ものをしまった場所を忘れてしまい困り果てているが、そうした失敗をあの人には指摘されたくない
非難されたない、それでもなんとかしたいという願いが、もの盗られ妄想と呼ばれる現象の理由と
なっていると理解できる。…
ものをたびたび紛失することによって生じる困惑、自己肯定感の低下を周囲が理解し、
「ものをなくして困ったらいつでも言ってほしい」と伝える。
・援助希求しづらい理由
恥の意識を強めないさりげなさ(が援助者に求められる)」
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「BPSD(周辺症状)という言葉で解釈するのではなく、援助希求能力という視点」
何に対しても、視点、見かた、捉えかたをちょっと変えてみるだけで違う。
(私も何かでつまずいたとき、感じよう、思いよう、考えかたでどれほど救われたことだろう)
人はつまずくと気が焦って視野が狭窄しがち。
一つの道しか見えなくなる。
(最悪中の最悪は自殺、自死。
「認知症」の話からはそれるけれど、本には「自殺直前の心理的視野狭窄」というのがあった。
「この状態に陥ると、いつもなら意識に上るごく普通の選択肢が思い浮かばなくなり…
周囲の身近な人々は真摯に継続して受け止める必要がある」と書かれていた)
あらためて、自分の「周囲の身近な人々」に目を向けなければならないと思う。
今日の一句
春鴉 暴徒の数を なしにけり 辻田克己