最後は、在日朝鮮人の作家、高 史明さんです。
高さんは親鸞に詳しい、釈さんは浄土真宗の僧侶、お二人の対談は熱っぽかった。
話題はいろいろあったけど、「二項対立」の非ということ、
人間は「仮」「偽」の世界を生きているという二つのことだけ書きます。
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「・「善悪を知っている」と主張する現代人
『歎異抄』の後序にある「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり」…
親鸞は、善悪は阿弥陀仏のみが知ることで、人の知り得ることではないといっている。…
親鸞は「二つはわからない」というところから始まり、
現代人は「二つを知っている」というところで争う。
どちらが善でどちらが悪かをいい合う限り、最後は相手を滅ぼさざるを得ません。…
信じている人/信じていない人 役に立つもの/立たないもの 敵/味方 得/損という二項対立
(→原理主義に陥りやすい)
…
・人間は「仮」「偽」の世界を生きている
(親鸞が)提起してきたのは、全て「ことば」を通してのことだといい、
その「真実」はことばである限り、「仮」だと断言している。…
真理を開く「コトバ」は、確かに人間を現代にまで導きました。しかし、そこに見えてきたのは
「核」の時代です。
現代は自らの「チエ」で登場させた核の闇を乗り越えられるのか」
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■ 「善悪は阿弥陀仏のみが知ることで、人の知り得ることではない」
「阿弥陀仏」は神でも天でも、現世を超える絶対者なら何でもいい。
なのに、人は(私も)自分が正しい、善いと思ってしまう。
「親鸞は「二つはわからない」というところから始まり、
現代人は「二つを知っている」というところで争う。
どちらが善でどちらが悪かをいい合う限り、最後は相手を滅ぼさざるを得ません」
すごく考えさせられた。
(この記事を書いている最中、たまたま佐藤優さん《著作で知っていた》がインタビューで、
番組テーマは「他者を理解し合える世界」だった。
佐藤さんは元外交官。
「外交」という仕事の基本は相手のことを知るところから始まる。
人は、この世に自分には理解できないことが存在することを知ると心が乱れ、穏やかではいられない。
そんなとき、先ずは何故、どうして存在するのかを理解、わかろうとしなければならないと言われる。
ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの対立・戦争問題を、単純に「善悪」で決めつける
のではなく、ここまで長引き、被害が限りなく続いている現状を先ず、直ぐに終わらされなければ
ならない。
「即時停戦」しなければならないと言われる。
「いのちの大切さ」を一地点に合意できないはずはない。
即、殺し合いをやめ、お互い《の違い》を認め合う。
《第二次大戦後の1950年に始まった朝鮮戦争は未だ続いている。「終戦」に至っていない。
あれほど対立していても、「停戦」状態はいまも続けられている。ある意味、すごいことだと思った。
イ・パ対立は、過去何ども「停戦」が行われてきたが、ほどなく破られてきた》
私はウクライナ、イスラエルを支持するバイデン、自由主義国側が「善」とは思わないまでも
《善どころか、イスラエルの無慈悲きわまりないー子どもが成長したときの、将来の復讐を警戒する
あまりか、子どものホロコーストともいうべきー虐殺は、悪と決めつける他ない》プーチンは悪と
思っている。
《何故なら、公的なものであるはずの政治を「私利私欲」のために利用した安倍と同じ。
そのためにプーのように戦争を始めて多数の人を殺さなくとも、赤木さんを自殺させた》)
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■ 「人間は「仮」「偽」の世界を生きている」
世の中も自分の人生も、どちらも「仮」「偽」、今ふうに言うなら「バーチャル」
かもしれない。
(「バーチャル」というのは現代に生きる私たちには身近に感じられるようになった。
「夢うつつ」という言葉は古くからあるし、「バーチャル」は言葉としては新しくても、
「これは夢まぼろし、現実?」ということは昔からいわれていた)
「人間は「仮」「偽」の世界を生きている」かどうか、分からない。
ただ、人生を「これは現実ではない。「仮」「偽」、「バーチャル」なんだ」と
感じ思うことが、他人を巻き込むことなく(その人も人生は「仮」…と思っているかどうか
分からない)自分を元気にしてくれるのならいいと思った。
今日の一句
叱られて 目をつぶる猫 春隣 久保田万太郎