カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.5.21 『人類学者…が森に入って考えたこと』⑤

今日で終わりです。

 

〈「贈与」ということ〉

ムラブリ…の間では「ある(持っている)人」がない(持っていない)にあげることは普通のこと

見返りを求めない

(たとえば「お米」の話)→

お米が太陽からの贈り物であるという視座、太陽の視座とでも言いますか、

ぼくらのコントロールできない存在によって全ての物事は存在するという感性からすれば、

みんなhave (持っている)であると同時に与えられるしかない点ではhave not (持っていない)

→(要するに平等)奢るとか奢られる贈与するとかされる)は、特別なことではなくなる。

あなたも私も太陽に生かされているんだから

資本主義というのは、所有や占有が基盤にある。have(の人 )とhave not(の人 )が出てくる

プナンであれマオリであれ、モノを循環させる贈与…は、資本の蓄積と投下、

そこに付随する貧富の格差を生じさせる仕組みを防いでいるんです。

富を人々のあいだでつねに循環させることで、平等主義的な社会を維持していくことができている…

富が一カ所に集中しないことにより、権力の偏在が生じないようになっている

 

〈第三の視座〉

(先ほど出てきた太陽の視座」について伊藤雄馬さんは詳しく述べる。→

自分からの視座、他者からの視座に加え、三点目の視座としてすべての存在《モノやコト》の根本、

太陽からの視座、太陽の視座を持ち、それら三つを結びつけなければならない。

「私」と「あなた」、そして太陽で)三角形をつくる。

(「私」と「あなた」は) haveとhave not(の関係であっても)太陽からの視座にいれば、

たまたま自分がhave側であなたがhave not側だけど、別の場合では逆転することも当然ある

さらに伊藤さんは「ぼくたち」といういい方ではなく「ぼく」「私」と一人称を用いることの

大切さをいう)→

身体を持った個人としての自分を主語にしないと内省が深まらない。

たとえば「共有」というけれど、そう簡単には別々の人間がわかり合えるはずはない。

しかし、自分という個人が同時にhaveとhave notを存在するならば他人にも存在すると思える…

私たちの資本主義社会では子どものときから所有欲を肯定される(モノだけではなく非・モノ=知識

学歴、技能なども)

社会の権力構造を分析して問題構造を把握し、社会を改良するということ…1990年代くらいだとすると

それ以降、社会の中でこれまであまり見えてなかったものに対する配慮が求められるようになった。

社会的な弱者を救うために、いろんなことをやってきたわけだけど、

それで全てが晴れやかに解決したかというと、全然そうではなくて、

他に解決に当たらなければならない問題が出てきて、…結局は、以前より息苦しくなってしまった…

資本主義の「土台」から離れたところ(「日本でもムラブリでも、太陽はある」)から

見ていかなければならない

ホモ・サピエンスの20万年にわたる全歴史のうち、9割以上が、

商業資本主義や農業によって形づくられたものではなかった。

 

(最後に著者たちはいう。「もっと知恵を!」と。

知恵とは、経験だけではなく、それに想像力が加わったものである

森の民のやり方や考え方は、私たちをぐらつかせ、不安にするという点において、知恵が充ち溢れ…

 

   


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書かれていたことに深く考えさせられ、とても新鮮な気持ちになった。

 

私たちはみんな、ある地域、国、社会の下で暮らしている。

(一つの身なのでそうでしかあり得ない。

日本人は日本の自然環境、資本主義経済の社会で生活している)

そこでの毎日を、とんど条件反射的に暮らしているから、それに慣れ、

特に意識しない限り)それが「当たり前」の生活のように過ごしている。

(確かに「格差」のある暮らしだけど、かかる費用に差があっても、だいたい似たような生活だ。

とはいえ「六本木ヒルズ」住人たちの暮らしぶりとか、投資詐欺で千万や億の単位のお金を騙された

話は想像がむずかしい《人の欲というのは底抜けなんだと感じる他ない》。それより私は)

ブナンやムラブリの人々の生きている姿の方がもっとうまく想像できる。

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「死んだらみな同じ」

「太陽の下ではみな同じ」(「お日さまはすべてをお見通し」)

(とはいえども私のようなhave notが言うと、恨みがましい)ではあるけれど、

〈第三の視座〉、太陽の視座を持つことの大切さをとても強く感じた。

 

人間も、他の生き物たちと同じように、太陽の恩恵を受けての命という点で

本質的に同じ。平等であるということ。

 

お米が太陽からの贈り物であるという視座」、米に限らずあらゆるモノ、コトが

太陽の下に存在し、行われるという事実。

あなたも私も太陽に生かされているんだからという事実。

(「日本でもムラブリでも、太陽はある」)

 

   


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引用の終りの方で、

社会の権力構造を分析して問題構造を把握し、社会を改良…

あまり見えてなかったものに対する配慮が求められるようになった。

社会的な弱者を救うために、いろんなことをやってきたわけだけど、

それで全てが晴れやかに解決したかというと、全然そうではなくて…

とある。

 

いま世界中で太陽光エネルギーなど自然エネルギーの開発、AIを活用・利用した

(エネルギーだけではなく)いろいろな「持続可能な○○」の取り組みがなされている

けれど、資本主義経済が土台にある限り、根本から社会的な弱者を救う」ことは

望めないことを強く思った。

(かといって、「根本からではなくても、歴史を振りかえれば明らかなように、大筋、

人類社会は確実に一人ひとりのいのち、人権が重んじられる方向に進んでいる《と思う》。

核戦争とか自暴自棄をすればすべてが0。そんなバカをないように。

どうかこのまま、もっといのちを尊ぶようになりますように)

 

 

 

 

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                       ちりとてちん

遠足バス いつまでも子が 出できたる  小澤 實

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