もう過ぎたけど、9月15日は「老人の日」だった。
何年も前、保育園児だった孫から、本人の手形がスタンプされたカードに
「おばあちゃん、おじいちゃんげんきでね」と(拙いけど私よりずっとマシな)文字で
書かれたメッセージが届いたときは涙が出そうになったが、はぁ~僕らはジジイ
ババアなんだとの感をあらためて強くした。
自分が若かったとき、親たちは生きていたし、老人は周りにいたけれど、
どっちも仕事や生活の忙しさにかまけ、人生についての話はしたことがなかった。
(私はそうだったけど、多くの人もたいして変わらないのではと思う。
いまになって、聞いておけばよかったと悔やむ)
当然、「老人になってどんな思い、気分ですか?どんな気もちで生きていますか」
などと不躾な質問をしたことはない。
(うっすらとそのうち自分もジジイになるんだなぁと思うことはあっても現実的なこととは思えず、
その時代は若いという「いまの現実」に没頭、埋没しているから、こんな質問自体がそもそも頭に
浮かぶことはなかった)
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いつの間にか自分が年寄りといわれるようになり、(前記事の)佐野洋子さんの
「まさか、こんなことが起きようとは!」「これはペテン?」が身に沁みる。
同時に(自分自身が年寄りになってみないと決してわからない)「老いもいいもんだ」
との実感が起きる。
(そうでない人もいるのだろうが私の場合はそうだった。
目や耳など身体の衰えはもちろん酷いけれど、心底そう感じている。
そのことを若い人たちに是非とも知って欲しい。
が、現在の世の中、社会での生きにくさを想像すると《年寄りの私はもうじきお迎えが来るので
いいけれど、そうはいかない》若い人たちの不安、心配、イヤな思いがいっぱい伝わって来る。
が、老人になると《程度に個人差はあっても》世の中、社会を一種「超越」したような、仙人に
数ミリ近づいたような心持ちが訪れることも確か)
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続けて読んだ2冊の本。
それぞれの著者の立場は異なる(前者は生物学者、後者は精神科医)けれど、
両方とも老人になり、老人として生きることを称えていた。
『なぜヒトだけが老いるのか』 小林武彦
(グーグル画像より)
『70代から「いいこと」ばかり起きる人』 和田秀樹
(グーグル画像より)
(どちらからもごく一部の引用ですが紹介し《便宜的に①~④としました》、
私の感じ思い考えたことを書きます)
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『なぜヒトだけが老いるのか』
「「老い」を老いずに生きる
①老いは何かを失うわけではなく、「役割が変化する」と捉えることもできます。
…
「少子化」は、生物学的ではなく人間の、自分たちの都合で…「勝手に」減っている
…
(1989年、スウェーデンの社会学者トルンスタムは、85才を超える超高齢者の心理状態を分析)→
②「物質主義的・合理的」な世界観から「宇宙的・超越的」世界観に変化する…
普通の庶民的な「欲」が支配する世界から、神さまのような大きな世界観へ変化…
→「感謝」「利他」「肯定」」
『70代から「いいこと」ばかり起きる人』
「高齢になると自然と「マインドフルネス」になる
③幸福度が最高値に達するのは「82歳以上」…「幸福のUカーブ」は世界共通
…
④人は人生の時間に限りがあると知ったとき、残された時間で満足できるよう、喜びや安心といった
ポジティブな感情を高める行動を自然に選択する(「「エイジングパラドックス」)ようになる
…
「エイジングパラドックス」が起こる6つの理由
1. 離脱「できない」という否定的感情を持つ機会が減少
2. 活動 現役時代にやりたかった活動を、ようやく始められる幸福感
3. 継続
4. 最適化 うまくいかなくても、上手にそれを解釈する
5. 発達 若いころ受け入れられなかったこと、恐れの対象であったものを、受け入れられるようになる
6. 老年的超越 死を受け入れられるようになったり、利己主義から利他主義へ移行したり、
世俗を超越」
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①
確かに「老いは何かを失うわけではな」い。
けれども、視力や聴力、体力、運動の俊敏さなど明らかに衰え、鈍くなるが、
そのことを「役割が変化する」と捉えてみる。
(「役割が変化する」ということ。
老いると客観的に身体は若いころと比較すれば力が減り、感覚は鈍くなるけれど、
余分な力は抜き、不要なものは見聞きせず、つまらん反応はしないようになるともいえ、
それは「役割が変化する」ということ。
「役割が変化」の前提《というか原因》には人生の価値観という大事なものの大きな変化がある。
若いときのような「何でも見てやろう」という好奇心は老いても大切だが身体の衰えにはかなわない。
その代わり、若かったときには見えなかった大事なものが見え、気づく。
衰えて鈍くなるが、「失うわけではな」く「役割が変化する」だけ。
例えば視力。鈍くなるけど、はっきり見えずボーっと見えている方がいいときもあるし、また
「要らんもの、つまらんものは見んでもよろし」という場合もある。
《すみずみまでよく見えることが「幸せ」とは限らないことに気づく。
逆に、これまだは目にとまなることさえなかった道ばたの「雑草」に気をとられたり、
庭先の花の造りの妙に惹かれたりする》
「失うわけではな」く「役割が変化する」。
「物は言いよう」というけれど、言葉の力というものをすごく感じた。
政治家の答弁、言い訳、弁解のように虚しさを感じさせ、言葉の欺瞞には反吐を吐きたくなるが、
そういうものとは真反対)
②
「物質主義的・合理的」な世界観からから「宇宙的・超越的」世界観に変化する…
普通の庶民的な「欲」が支配する世界から、神さまのような大きな世界観へ変化」
70そこそこの私でも実感できる、ホントの話。
(佐野洋子さんの本を読んでの前の記事で、月について「あれは見るもの」であり
「昔を思い出すためにある」もの。決して月面着陸のような《「物質主義的・合理的」な世界観で》
行くものではないとあったのを思い出した。
いまでこそ「あれは見るもの」と佐野さんに全面共感するけど、アポロ11号が人類で初めて月面着陸
したとき私は18歳。どっぷり人類のひとりだったので感激しないはずはなかった。
《若いということはすばらしい。「欲」が支配する世界から神さまの世界に近づいても、
それは自分が徳の高い人間に近づいたことではなく、ただ単に年取ったことに過ぎない。
意識すれば感じられる、誰にも訪れる生理的な老化。特別なものじゃない》
若かった昔は私は人一倍物欲が強かった気がする。昔の流行歌にあったように、ギンギラギンだったが
さりげなくしていたので他人にはわからなかった、と思う)
③
「高齢になると自然と「マインドフルネス」になる」
(は②と重なる話なので略します)
④
「エイジングパラドックス」が起こる6つの理由には、深くうなずいた。
(「エイジングパラドックス」。うまいこと言うなぁと先ずこの言葉に驚いた)
1. 離脱「できない」という否定的感情を持つ機会が減少
(仕事をしたり、社会にいることを実感することが多ければ多いほど、同僚など他人と自分を
比較せざるを得ないときがある。
私はその度、劣等感を抱いてきたので、退職したときはヤレヤレ!バンザイ!の気分だった)
2. 活動 現役時代にやりたかった活動を、ようやく始められる幸福感
(私の場合は離脱・退職前に障害者になっていたので現役時代にやりたかった活動《ボランティア》
はできず、読書と旅)
3. 継続
4. 最適化 うまくいかなくても、上手にそれを解釈する
(「うまくいかなくても」自分に都合よく解釈し、受けいれることは《ひょっとして》
私の生きるモットーといえるかもしれない。
「最適化」という言葉はパソコン用語かと思ったら、人の生き方にも当てはまるのだ)
5. 発達 若いころ受け入れられなかったこと、恐れの対象であったものを、
受け入れられるようになる
6. 老年的超越 死を受け入れられるようになったり、利己主義から利他主義へ
移行したり、世俗を超越
(「老年的超越」とは、②の「宇宙的・超越的」世界観、神さまのような大きな世界観のこと。
「マインドフルネス」のこと。
『なぜヒトだけが老いるのか』の生物学者、小林武彦さんも「人は最後に老年的超越を目指す」
と書いておられました)
曼珠沙華 蕊のさきまで 意志通す 鍵和田秞子