カメキチの目
は~ぁ…
息を整えるためにときどき喉をならす(ため息じゃない)。
日常生活は動作がすごく遅いが、だいたい難なくこなしている。
身体の節々に鉛の塊が埋め込まれている感覚があり、バランスがうまくとるのに少し時間がかかるのにも、視界が揺れ、二重にみえるのも、慣れている。
ところがこんどは、ホントのため息である。は~ぁ…
(自己嫌悪)
グサリ! 刃物で刺すようにサイ(妻)の心を傷つけていたとは思わなかった。
歳とともに(それだけ反省が増え)、私は人間として多少はマシになっていると思っていた。
だが、まったくの勘違いであった。
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私の心には、深いところに、気づかれないよう“障害”が隠れひそんでいたのだ。
「いつだってどこだって自然体」だと思っていた。
だから、自分の障害を卑下したことなんて一度だってなかった。
しかし… しかし、である。
子どもの成長は早い。孫たちは大きくなってゆき、私はもの足りない存在となっていた。それは自分でもわかっていたが、気づかないふりをしていた。
彼らに私はウルトラマンXはムリでも、どこか「オジイはすごいなぁー」とうらやましがってほしいと思っていた。それはムリでも、人なみなジイサンを演じたい、と思っていた。
(この前、ゲームセンターについて行った。ヘンな人から《私がいちばんヘンなくせに》彼らを守るために。ところが杖をついて立っているのが精いっぱい。子どもたちが「ヤッター!」と喜びあがっても、なんがヤッターなのかわからないまま、「よかったね」となま返事する)
ブログでは謙遜ぶっているつもりでも、実態はこうである。
で、
障害者になり10年目を迎えようとするのに先日、ささいなきっかけで、この実態を突きつけられ、“障害者”ということが私の心には重石のようにのしかかっていることを、思い知った。
きっかけはホントにささいであったが、“プライド”が傷ついた(と思った)。
なぬ?プライド(そんなくだらぬものがあったのです)
くだらぬものを守るため、彼女の心をどん底に落としていいのか。
こんな私自分こそ(地獄の)どん底に落ちねばならぬのに…