カメキチの目
それは暮れのころだった。これまで思わなかったようなこと(似たことは思ったことありますが)を強く思われた。
とてもイヤなことに遭い、知り、自分ではどうにもならぬ、無力感に襲われたとき、これからはそう思おう、そう受けとめようと決めた。
(新年からの「抱負」にしよう)
沖縄辺野古の米軍基地を新たにつくるための海の埋めたて工事が始められた。
先の知事選で埋め立て反対という県民意思がはっきり示されているのを無視しての強行…。
沖縄のことだけではない(4日にはイエメンのことを書いたばかり。きのうは敬愛する方が「原爆」のことをお書きになったばかり)。
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ニュースを知って、首をかしげること、怒りがおさまらないことがあり過ぎる。
政治・経済だけでなく、「あおり運転」、自分の不満を世にぶっつけた事件など個人が犯す事件も。
そんなことでも、時がたてば「忘れる」(つまり「怒りをおさめる」)。
善きこと、嬉しきことが起きることもあれば、より怒りをかきたてる酷い事件が起き、前のがたいしたことないと思わせる(つまり「慣れる」。恐ろしい)。
思えば、そういうことが次から次へと起こるので「助かって」いる。
私たちは日々を生きていかなければならないので、
他人の不幸には、昔はやったテレビ時代劇『木枯らし紋次郎』の「あっしには関わりねぇことでござんす」と目をつぶる。つぶらないと「やってらんねぇ…」。
(それでもたまにはつぶれない事態にも遭遇する)
毎日のすべきことをするだけの、同じことの繰り返し、その「行住坐臥」が怒りを忘れさせる、鎮めてくれる。
(一つひとつをまともに受けとめていたらストレスで爆発しそう。人間の生理に「生存本能」とでもいうべきものがちゃんと働いており、難なく日々を過ごしていける。「怒って」ばかりで生きてはいけません。あたり前)
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ところで、
思ったこと(「抱負」にしたい)というのは、
・たとえば、さきにあげた辺野古の埋めたて問題
①首相が選んだ防衛省トップが命令→官僚がその命令・指示にしたがって「粛々と」「スピード感をもって」コトを進行→彼らは現場で辺野古の海、湾に石や土砂などを落としこむという具体的な作業を現場労働者に支持。
現場労働者のなかには祖国防衛にたいせつな仕事をしているのだという自負心にあふれる人もおろうが、「県民の多くが埋めたて反対」との民意を知っており、目の前に抗議の人たちに共感し、「やってらんねぇ…。でも、家族をやしなわなければならんしなぁ…」とため息ついてイヤイヤながら働いている人たちもおられよう。
②私も「埋めたて反対」であり多くの沖縄県民といっしょ(暮れのお笑い番組で、「沖縄県民はオミクジで《凶》と出るのが好き」「その心は《吉》基地はもういらない」)。
だけど、日本国民の多くはいまの政府を指示しており、その政府が埋めたてを決め、実行しようとしているのだから現在の日本国家の統治制度のもとではしかたない。
(どうしても「埋めたて反対」を通すなら沖縄は独立国家をつくる、つまり日本から離れるか、アメリカの一州になる《アメリカの統治制度では州という地域の自治が強いとのこと)しかないのでしょうか)
③沖縄が独立などの方向へ進まないならば、ということは国の横暴を指をくわえてみているしかできないならば、
自分のほうを変えねばならない。態度をあらためなければならないと思った。(「平成」もいいですが)「平静」であること(禅の言葉にも「平常心(びょうじょうしん)」というのがあります)。
(もちろん、「怒り」は感情ですから湧き起こるのをやめてしまうことはできず、相かわらずカッカときてもなるべく早く収めよう)
怒り、憎悪を長くは持ち越すまい。
怒っては損するばかり、疲れるばかり。
(どうせ、みんな滅す。「死」ねば生まれる前と同様、みんな同じ《平等》)
これからは、モリカケもおいしく食べよう。