2回目は、「働く」ことそのもの。
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② 働く主人公は、私 - 主体的に働く
江戸時代の「労働集約的な農家経営と手工業生産」ということで、
次のような記述があり、考えさせられた。
【引用】
「労働の主人
近代に至るまでの農民たちの働き方は、多様な課題を一人でマネージメントする…
労働の多様性
(労働の)内容の多様性です。ひとりでいろいろなtaskをこなす…
社会的な分業の未熟さ
江戸時代の農民たちはさまざまな課題を抱え、それに即して多様な仕事をこなしていました。…
経済発展が未熟であるために、誰もがそれぞれの仕事に必要な最低限の技能をそれぞれもって
いなければ生活がたちゆかなかったからです…」
(注:(黒字)と太字はこちらでしました)
農民の主な仕事は田畑で米や野菜など食べるものを生産するという、人の生存に
直接関わる営みだが、家族みんなの労働として「着る、住む(休む)」に関わる
雑多な手仕事もしていた。
(要するに家の者みんなが生きつづけていくため、できる仕事は自分たちでやらなければ
いけなかった)
たいていの物事が、お金を払って買えば手に入る、専門的な職人に任せればかなう
という、本格的な分業が発達する近・現代世の中になるまでは、
「ひとりでいろいろなtaskをこなす」よりほかなかった。
(そこでは生きていくため、ほとんど自分と家族でやれる《やろうとすればやれる》ことは
自分と家族ででやった《集団の力を合わせなければならないときは村全体で力を合わせ》)
「働く」ことを考えるうえでとてもたいせつなことが含まれている。
【引用】
「「農業経営に対して自身が責任を負うシステム」ということです…」
いってみれば「農業経営の裁量権」。
当時(江戸時代)の民衆の多くは農民で、彼らは自分の裁量(考え、計画し)で
農業などの仕事をした。
まさに働く主人公は自分で、主体的に働いたわけだ。
(そして「働くために働いていた」わけではない。家族と自分が食っていけたらそれでよかったのだ。
だから、自分で時間を割り振りし、休日は近・現代の労働者より多かったという。
いまの私たちのように欲望をそそるようなモノはあまりなかったので《それを手に入れることが幸せに
つながるとも思わなかったので》、何より肉体労働で身体が疲れたので、「骨休め」がいちばんの楽、
幸せだったのに違いない)
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江戸の昔には想像さえできなかった現代の加速度的な科学技術の進歩。
(昭和の私でさえ、今日のIT・バイオテクノジーは想像できなかった)
それにより私たちはの生活は便利・快適となり、長生きもできるようになったし
決して元に戻ることは、後ろに引き返すことはあり得ない。
こんな時代にあって、働く・労働・仕事はどう位置づけされるのだろうか。
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就職先、働くところは、もちろんたいせつだが、ずっと前に養老猛司さんが本に
書いておられた「仕事とは(「自己実現」とか自分を発揮するためと考えるのじゃなくて)
社会のデコボコの穴埋め(役に立つ)」という文章に「そうだそうだ」と同感した
(そのときは就職に悩んでいた若いころではなかったけれど、思うようには仕事が見つからなくても
社会に有用な仕事なら何でもやろうと思っていた)
そういうのは、確かに江戸時代の農民のような仕事の「裁量権」はなかったが、
経営、マネージメントは欠いていても、主体的に働いている、働く主人公は、私
といってもいいのではないだろうか。
(児童福祉施設で働いていたとき、会社ぐるみで清掃会社の人たちがボランティアで年に二度、
定期的に《私が退職してからもその活動は続いている》掃除に来てくださった。
会社の専門である清掃、つまりきれいにするという仕事を通しての活動。
この会社の人々から、私はとてもたいせつなことを教えてもらった)
〈オマケの話〉
農民を「百姓」とも言う。ニュアンスは多少ちがっても、農民は「百」くらい、
たくさんの顔を持っている、さまざまな働きをする、ということ。
「働く」は「はた・らく」、傍(はた)を楽にすることだそうだ。