カメキチの目
番組がよみがえってきた。
(新作ではなく、日本語吹き替えの声が変わっての再放送。春ころからやって
います。番組のことは詳しいHPがありますので、そちらをどうぞ)
放送当時、主人公ローラたちと自分の子どもたちも
同じくらいの年ごろだったこともあり、それに何より
毎回の話がおもしろくて、子どもたちとよく観た。
グーグル画像より
歳とって、また観ることができようとは夢にも
思わなかった。
開拓時代のアメリカ中部の大平原。広大な大地、
草原を切りひらいて畑をつくり、粗末で小さくても
自分たちの家を建て、健気に生きるインガルス一家。
(一家を中心とした周囲の人々との関わりを、ローラ《三人娘のうちの次女》が
大人へと成長し、子ども時代を思いだして書いた半自叙伝が原作となっている)
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どうしてこんなにいいと感じるのだろう?
ふと、そう思った
① 子どもが主人公の物語であること。
よって、複雑な話はあまり出てこない。単純に
ローラたちと喜怒哀楽をともにできる。
大人社会の難しさを感じさせる話や場面(例えば、
原住民《昔でいう「インディアン」。ネィティブアメリカンのこと》に
出あうことや、街でさまざまな人たちとやり取りすることなど)もあるが
主人公ローラの子どもとしての視点、思いから
描かれる。
② 思えば、私は小さな子どもを相手の仕事を長く
してきたので、いつの間にか自分の「子ども像」が
つくられており(自覚したことはなかった)、それが自分の
人間や社会をみる目につながっているのでは…
と思った。
私の「子ども像」とは何か?
動物、生きもの然としていて、ウソがないこと
(ウソつける年ごろになればたいての子どもはウソをつくときもあるが、
素朴なウソ、かわいいウソが多く、大人にはすぐ見破られる)。
自分のことは棚にあげ、ウソつきは大嫌い。
(正確には「偽り」「詐欺」です)
しかし、「ウソも方便」は肯定する。
さっき「自分のことは棚に…」と書いたが、
「方便」と感じ、信じるウソはつくこともある
(いまもある)。
【オマケ】
「ウソも方便」は…なんてエラそうに書きましたが、これは手垢にまみれた
老いた自分の「言いわけ」というものです。