カメキチの目
いま住んでいるところとその近辺、そこの土産品が
謂れも含めて次々と出てくる小説を、ツレが図書館で
借りたのをちらりと紹介してくれた。
興味をひかれ、読むことにした。
『霊視(みえ)るお土産屋さん』(著者:平田ノブハル)という
文庫本。
小説なのに「〇〇県のPRみたい」と彼女が言った
ように、おなじみの地名や名産みやげ満載なので、
〇〇県民の私たちとしてはおもしかった。
それだけでなく、話の設定・展開、つまり物語
そのものがよく出来ていると思った。
物語のなかに「お土産」が巧みに織りこまれ、
なくてはならぬものとして、とても存在感があった。
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本は四つの小話から成っているが、私は初めの話
から「呪い」というものを強く意識させられた。
(小説は、何事にも真剣で、その割にはよく失敗を繰りかえしては落ち込む
ナイーブでホンワカ、明るくやさしい主人公が、
もう一人の主人公、度が過ぎるほど冷静《ほんとうの「やさしさ」というものが
わかっており、一見、「冷徹」)で霊感のあるステキな彼に援けられて困った人を
救う物語《小話》が四つで成りたっている。
「霊を視る」というのもこの小説の欠かせぬ大きなモチーフとなっているから、
四つの小話とも「呪い」に彩られていた)
「呪い」という言葉を聞けばたいていの人はドキッ
とする。
個人的に心あたりはないが、私もドキッとした。
他人に呪われるほどの「悪事」を働いた覚えはない
(が、あっても忘れていたり、自分では「たいしたことない」と勝手に思っていた
かもしれない)し、誰かを呪った覚えもない。
しかし、ここでの呪いというのは「呪いの藁人形」
的な、怪談のようなものではないのだ。
読み始めて早々、初めの話に
「夢を諦めるな、というのは、呪いの言葉だと思う」
とあるのに出会い驚いた。
「藁人形」ではなく言葉。
言葉はそれなくしては人間的な生活が送れないほど
身近なものだ。
「呪いの言葉」という文言だけでなく、ここでの文章
(セリフ)の意味によりビックリした。
(「夢を諦めるな」というのは「がんばれ」と同じように励まし勇気づける言葉。
それを「呪いの言葉」なんて…?)
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「夢を諦めるな」自体は一般的な言葉、言いまわし
である。
それがこの小説の文脈・ストーリーの中に
位置づけられれば、「呪いの言葉」になっている。
言葉というのは、それを発する場や時という条件
(文脈)によって大きく変わるというたいせつなことを
私は著者から教えられた気がしている。
「夢を諦めるな」は、この小説・物語の流れの中では
「励まし」ではなく、「縛り」になっていたのだ。
その登場人物を苦しめていた。
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初めの話で、
登場人物の彼は、夢を諦めたいが、相反する
諦めきれない気もち(未練)もあり、心はその狭間に
あって気が狂いそうなくらい悩んでいた。
(彼はじゅうぶん過ぎるほど夢を実現するための努力をした。自分でそのことは
よくわかっている。この上いくら努力を重ねても、その夢の実現可能性が客観的に
むずかしいことも。しかし、
頑なに、ここで諦めたら「負け犬」になり下がってしまうと信じ込んでいたのだ)
こういう状態にあるとき、(少し霊感のあるステキな彼が、
悩んでいるほうの彼に言う)
「夢を諦めるな、というのは、呪いの言葉だと思う」
私は深くうなずいた。
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「夢を諦めるな」はあまり言う機会はないが、
「がんばれ」はよくある。
それは善意の言葉で、「励ます」「勇気を与える」
ことだと私たちは普通に思っている。
(そのときの自分の状態を中心に、あたり前のように)
自分自身を励まして「がんばれ」と言うのはいい
けれど、他人に言うときは
ちょっと慎重にならなければならないと思った。
すでに「私はよくがんばっている」と思っている
人に、「がんばれ!」というのは、まだ私は足りない
のかな?と感じさせてしまうおそれもあると思う。
〈オマケ〉
東京オリンピックの誘致のころから「おもてなし」という言葉をよく聞くように
なった。
おもてなしは、他の人を気遣っての態度、行動、つまりやさしさだと思う。
すっかり手垢にまみれ、今じゃ否定的な意味あいが強く込められて言われる
(私はよく言っています)「空気を読む」や「忖度」だけど、本来の意味は
相手に悟られないようにそおっと気遣うやさしさ、日本的なおもてなしの心を
いうのだと思う。
悲しいかな、今じゃこれらは「呪いの言葉」として使われることが多くなった。