カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.1.24 呪い

 

         カメキチの目

  

 

 いま住んでいるところとその近辺、そこの土産品が

謂れも含めて次々と出てくる小説を、ツレが図書館で

借りたのをちらりと紹介してくれた。

 興味をひかれ、読むことにした。

『霊視(みえ)るお土産屋さん』(著者:平田ノブハル)という

文庫本。

 

 小説なのに「〇〇県のPRみたい」と彼女が言った

ように、おなじみの地名や名産みやげ満載なので、

〇〇県民の私たちとしてはおもしかった。 

 それだけでなく、話の設定・展開、つまり物語

そのものがよく出来ていると思った。

 物語のなかに「お土産」が巧みに織りこまれ、

なくてはならぬものとして、とても存在感があった。

 

                      f:id:kame710:20200119153901g:plain

----------

 本は四つの小話から成っているが、私は初めの話

から「呪い」というものを強く意識させられた。

(小説は、何事にも真剣で、その割にはよく失敗を繰りかえしては落ち込む

ナイーブでホンワカ、明るくやさしい主人公が、

もう一人の主人公、度が過ぎるほど冷静《ほんとうの「やさしさ」というものが

わかっており、一見、「冷徹」)で霊感のあるステキな彼に援けられて困った人を

救う物語《小話》が四つで成りたっている。

「霊を視る」というのもこの小説の欠かせぬ大きなモチーフとなっているから、

四つの小話とも「呪い」に彩られていた 

                          f:id:kame710:20200121114340g:plain

「呪い」という言葉を聞けばたいていの人はドキッ

とする。

 個人的に心あたりはないが、私もドキッとした

 他人に呪われるほどの「悪事」を働いた覚えはない

(が、あっても忘れていたり、自分では「たいしたことない」と勝手に思っていた

かもしれない)し、誰かを呪った覚えもない。

 しかし、ここでの呪いというのは「呪いの藁人形」

的な、怪談のようなものではないのだ。

 

 読み始めて早々、初めの話に  

夢を諦めるな、というのは、呪いの言葉だと思う

とあるのに出会い驚いた。

 

「藁人形」ではなく言葉。

 言葉はそれなくしては人間的な生活が送れないほど

身近なものだ。

「呪いの言葉」という文言だけでなく、ここでの文章

(セリフ)の意味によりビックリした。

 (「夢を諦めるな」というのは「がんばれ」と同じように励まし勇気づける言葉。

それを「呪いの言葉」なんて…?)

 

----------  

「夢を諦めるな」自体は一般的な言葉、言いまわし

である。

 それがこの小説の文脈・ストーリー中に

位置づけられれば、「呪いの言葉」になっている。

 

 言葉というのは、それを発する場や時という条件

(文脈)によって大きく変わるというたいせつなことを

私は著者から教えられた気がしている。 

「夢を諦めるな」は、この小説・物語の流れ中では

「励まし」ではなく、「縛り」になっていたのだ。

 その登場人物を苦しめていた。

 

ーーーーーーーーーーー 

 初めの話で、

 登場人物の彼は、夢を諦めたいが、相反する

諦めきれない気もち(未練)あり、心はその狭間に

あって気が狂いそうなくらい悩んでいた。

(彼はじゅうぶん過ぎるほど夢を実現するための努力をした。自分でそのことは

よくわかっている。この上いくら努力を重ねても、その夢の実現可能性が客観的に

むずかしいことも。しかし、

頑なに、ここで諦めたら「負け犬」になり下がってしまう信じ込んでいたのだ

 

 こういう状態にあるとき、(少し霊感のあるステキな彼が、

悩んでいるほうの彼に言う)

夢を諦めるな、というのは、呪いの言葉だと思う

 私は深くうなずいた。

 

----------

「夢を諦めるな」はあまり言う機会はないが、

がんばれ」はよくある。

 それは善意の言葉で、「励ます」「勇気を与える」

ことだと私たちは普通に思っている。

(そのときの自分の状態を中心に、あたり前のように)

 

 自分自身を励まして「がんばれ」と言うのはいい

けれど、他人に言うときは

ちょっと慎重にならなければならないと思った

 

 すでに「私はよくがんばっている」と思っている

人に、「がんばれ!」というのは、まだ私は足りない

のかな?と感じさせてしまうおそれもあると思う。

 

〈オマケ〉

東京オリンピックの誘致のころから「おもてなし」という言葉をよく聞くように

なった。

おもてなしは、他の人を気遣っての態度、行動、つまりやさしさだと思う。

すっかり手垢にまみれ、今じゃ否定的な意味あいが強く込められて言われる

(私はよく言っています)「空気を読む」や「忖度」だけど、本来の意味は

相手に悟られないようにそおっと気遣うやさしさ、日本的なおもてなしの心を

いうのだと思う。

悲しいかな、今じゃこれらは「呪いの言葉」として使われることが多くなった。

 

 

                         f:id:kame710:20171029114701j:plain                           ちりとてちん

                          

 

 

<