カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.6.30 「慣れ」・「最初の一撃」

         カメキチの目

 

 

 夕方、テレビ体操を日課としてやっている。

これまでいろいろな運動を試みたが、今はこれに落ちついている

(入院していたときリハビリで教わった運動《それに飽き》、足首に重りを

撒きつけ脚を上下に動かす運動《それにも飽き》、階段歩きにも飽いた。

いろいろ試したがすべて長続きしなかった。

しかし、別にやっている軽い運動→ダンベル上げ下げ、握力バネ健康器具開閉運動

《それぞれ1分間くらい》は続いている

 

「テレビ体操」にはラジオ体操も入っている。

ラジオ体操やさしい。ピアノは心地よい。

それでも私の平衡障害は眩暈がありフラフラ…。正直つらい。やめたくなる。

(が、ひとりじゃないのでやめられない

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テレビ体操を始める直前、20分くらいの午睡(至福の時間)をとっていた。

眠っていなくても、身体を横たえているだけで至福!

至福の20分間はすぐ経ち、意を決して起きあがり、体操モードに移るが、

その切りかえは(決して大げさな表現でなく)「地獄におちる」気分だった。 

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(というわけだったので)先日、夕方の午睡はやめた。

 地獄の気分を味わないため、体操中の気分の悪さや

身体のぎこちなさを少しでも軽減するために。

 

次に本題に入ります。

 

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 夕方の午睡をやめると決めたとき、「慣れ」と

「最初の一撃」という言葉頭をかすめた

 

■「慣れ」はとてもたいせつ。

どれほどたいせつかを身体障害者になり痛感してきた。

その障害が「後遺障害」と呼ばれ固定した治らない病・障害ならば、いかに治療

訓練しても身体が元に戻ることはない。

(しかし、奇蹟が起きて元に戻るか、かなり改善することもあるようです。

私も奇蹟を信じて10年、「ごしんじょう」と呼ぶ箸ほどの金《延べ棒では

ありません》で頭を撫で「気」の流れをよくするという民間療法を惰性で続けて

いる《ごしんじょうが高価だったのでやめたらもったいないのだ》

 

自分の障害を少しでも軽快なものにしようとするならば「慣れる」、言いかえれば

うまく「つき合う」「受けいれる」「共存」(コロナへの関係にもいえそう)が

たいせつだ。

 

退院後しばらくは「最近、どうですか?」「少しくらいはよくなりましたか?」と

声かけられた(いまはまったくかけられない)。

そんなとき返す言葉は決まっていた。

「これ以上よくなることはないと思います。現状維持が精いっぱい」

(たまに付けたすこともあった。「《平衡感覚を司る神経が切断していても》

代替神経ができ伸びる可能性もあるらしいから、運動《訓練》ガンバります」と

 

健康体のとき、動作の切りかえは滑らか、スムーズに行えた。

(それが「普通」なのである)

ところが私の障害ではうまくいかない。

動作の切りかえには、次の動作を受けいれる(慣れる)ための態勢づくり

(私の場合は眩暈が落ちつき、フラフラせず立位姿勢を保つ)をはさまないと

いけない。そうしないと、よろけるか転倒してしまうのだ。

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■「最初の一撃」(「ビッグバン」を連想する)。

物事はなんでも「始め」「起こり」「生成」がある。

 

内心は怠けたくあっても、「よし!体操を始めよう」という心(気)がまえは

「最初の一撃」「ビッグバン」であり、とてもたいせつなことだと思った。

(あたり前のことがたいせつなのだ。その「あたり前」に新たに気づくことに

終わりはないということを、老いて気づいた)

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 と、ポジティブなことをここに述べてみたが、

私の実態はネガティブに近い。

 

「なんでブログを?」という記事を前に書いた。

そのときの「自分のため」には「自分を励ます」

という意味も含んでいる。

 

できたら臨終にあたっては「有終の美」を願わなくもないので、こうして

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自分自身を叱咤激励する。

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

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