『つくられる病』 井上芳保
という本を読んだ。
題名から察せられるように、ちょっと怪しい症状も意図的に病気にしてしまう現代
「健康社会」の病理を問う。
(一般向けの新書ですが中身が濃く、考えさせられることが多かった)
読み始めてすぐ、「健康」…とよく言うけれど、健康とは何だろう ?と考えた。
強く感じたこと二つだけ書きます。
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① 「自分は健康なんだろうか?」と気になって
仕方ないのを「正常病」といい、現代社会では
正常病者が急増していると著者は述べる。
また「正常病」は、「健康でなければならない」→「健康であることが正常」
という強迫神経症的な思いこみ。
【引用】
〈「うつ病」ではなく「正常病」かもしれない〉
・ほとんどの人が「正常」ではなくなる検査
「うつ」の状態と「うつ病」とは違うものなのに無理に後者に一体化していく
のが、医療化の進む社会での一般的なやり方だ。…
・ある環境に構造的問題があって発生しているのに、それを個人の病という形で
処理する医療化は、もはやとどまるところを知らぬほどになっている。…
(「病名」が与えられる、つけられる ということは、自分が感じている不快な状態
気分は「病気」だということで、それまでわからなかったものがわかったことから
くる一種の「安堵感」にもなっている事実も、「医療化」にはある)
〈日々の些細なトラブルが仰々しいものにされていく〉
・内気は病気なのだろうか
「社会不安障害」(SAD)の人は、1990年代から2000年代にかけて、アメリカで
爆発的に増えた。それまでは単に性格的に内気や引っ込み思案だった人たちに
仰々しい病名が与えられて、「病人」として構築されたわけだ。
それが、そのまま日本にもやってきた。製薬会社は新規マーケットを開拓し、
病気の押し売りをしているとも考えられる。…
・常にポジティブ、アクティブであるべきとされる社会…
〈広がる健康不安、狭まる「正常」の幅
戦時の「健康優良児」からメタボ健診まで〉
・「正常」の基準がコロコロ変わっている…
・戦時も現代も国民は「健康」を強いられている…
健康を国民の義務とした健康増進法
「国民の責務」として健康が規定されていることになる。何かおかしくはないか。
健康は人間としてよりよく生きるための権利のはずなのだが、
そうではなく義務とされているのだ。…
・広義の医療産業の都合からつくられたヘルシズムに足元をすくわれないための
とりあえず処方箋として、自分で実感をもって享受できない観念的な「健康」に
振り回されないことが大事と言っておこう。
要するに「そんなに「健康」になって、いったいどうするの」ということである。
〈「正常」の幅の狭まりと積極的増強への欲望〉
・エンハンスメント(積極的増強)…
・分子レベルでの「病気」の潜在性は、ゲノム解読が完了し、
個人の有する遺伝情報を隈なく調べ得る状況になった今、
いくらでも掘り起こし可能である。
「超人」ならぬ普通の人を「超人」化していこうとするプロジェクトは、
利益追求のために新たに需要を創出する営みと連動する形でエンドレスに
推進可能なのだろう。
今や医療化とは、遺伝子操作レベルでの技術革新に伴って、
そこまで広がりうる強力な動きである事実を見据えておく必要がある。…
(注:太字・赤字、()の追加はこちらでしました)
深くうなずいた。
個人的には、「正常」「普通」にあまりこだわら
ないし、メタボも気にならないし(中年時代は少しは気になって
少しジョギングしたこともあった。いまは胃がなく下腹部が食べたもので膨らむ。
それで外見はメタボ腹)、「エンハンスメント」はおろか、
「そんなに「健康」になって、いったいどうするの」
の心境だ。
しかし、しっかりとした意志を持っていないと、
テレビ(とくにBS放送)の薬や健康食品のアクティブな
CM攻勢にやられそうになる。
「敵」はなんせ高価なのだ。効くものは高いと言わんばかりに。
庶民はタダ、安いに弱い。だから(売る側もそこを狙って)「初回限定お一人さま
1回に限りオマケが付いて通常4000円のところ1500円!」とくる。
安さに惹かれ、CMの「医学的根拠」は半分くらいしか信じないが、くじ引きの
気もちになり(外れてもいいか)買ってみようか思うときがある。
〈「正常」の幅の狭まりと積極的増強への欲望〉
の部分で述べられている「「超人」ならぬ普通の人を
「超人」化していこうとするプロジェクトは、
利益追求のために新たに需要を創出する営みと
連動する形でエンドレスに推進可能…」は、とても
重大なこと、注意しなければならないことだと感じた
これまでもブログで何度も書いてきた「欲望」。
それもエンドレス。
人によって究極の「欲望」である「不老不死」も
このまま科学技術が進めばいつかは叶いそうだが、
「そんなに「長生き」して、いったいどうするの」
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② 「気がつけばみんなおかしな人ばかり」
【引用】
エピローグ 「正常病」からの脱出のために
・「気がつけばみんなおかしな人ばかり」。イタリアでは街角にそんな標語がある…
・どうやらイタリアは「正常病」の流行りにくい土地柄のようだ。
「おかしな」とは「普通」からはみ出たという意味だが、この標語は、
人間はみんなそれぞれどこか「普通」ではない変な部分をもっているが、
そのことを認め合おうという呼びかけであるのだから。…
〈病苦とは規範が一つしかない状態〉
・たとえば、「病」の状態の人は何でも食べられるわけではないということだ。
胃が悪ければお粥くらいしか喉を通らない。それに対して「健康」だと
お粥以外でも食べられる。
ある形の形式しか許せぬ生のありようが「病」なのだとしたら、
「健康」とは多様な条件の下での多様な形式に対応でき、
多様な規範を創出していける柔軟な状態を指している。…
・(アメリカの銃社会)自分に余裕がないと自分の中にもあるはずの「狂気」や
「悪」というものに脅えてしまい、その反動で外なる「狂気」や「悪」に対して
非常に過敏に反応する…
微細な「悪の兆候」も見逃すまいという強迫的態度は、不安でたまらず震えながら
銃で身構えている人の虚勢に満ちた行動と似ている。
「何をするかわからない頭のおかしな奴は精神病院へぶちこんでおけ」
という意識にしても同根である。
(注:太字・赤字、()の追加はこちらでしました)
先日の警察官が黒人へ7発も撃ったというアメリカのニュースを聞き、
(アメリカの銃社会)での叙述は、撃った警察官の心理を述べていると思った。
もともとの差別感情に「不安でたまらず震えながら」の心が重なり、あれほどの
弾丸を撃ち込んだのではなかろうか。
「おかしな」を「ユーモラスな」という意味でいうと
私には当てはまらないが、「非常識」「普通でない」
でいうと当てはまる。
でも誰でもちょっとは人から外れたところがあるし
そういうところをお互いが認めあう世の中では、
イタリアのように(精神医療はあっても)「精神病院」は
なくなるだろう。
(ウソのような話ですが、この本で初めてイタリアでは「精神病院」が全廃された
事実を知りました)