(続き)
【引用】
④
(エンデの言葉)「人類がこの惑星の上で今後も生存できるかどうかを決める
決定的な問いだ、と私は思っています」…
⑤
エンデは…「すでに第三次世界大戦は始まっている」と警告していました。
「それは領土や宗教をめぐるものでなく、われわれの子孫を破滅に導く
時間の戦争です」と。…
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⑥
「問題は全科学が自負する客観性なのです。私はこの客観性には異論があります…
自然科学とその一連のものが計測、計算できるものだけを現実として
認めるということです。
それは現実のあくまでも一部であり、もしかしたら最も重要な部分でさえない
かもしれないわけです」
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⑦
エンデは、経済は人が生活を営むための社会的行為である以上、
そこには善悪やモラルの規範が含まれるべきである、と考えていました。
誰でも納得できるまっとうな考え方だと思います。
⑧
(エンデに大きな影響を与えたルドルフ・シュタイナーの思想)
社会という有機体を三分節化する社会三層論→精神・法・経済の三つの機能が、
フランス革命の自由・平等・友愛に相当
社会三層論では経済生活を競争ではなく友愛という原理を根本にするべきだと
考えていた。…
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⑨
「あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、ちょうどぴったりの瞬間に、
ちょうどぴったりの本を手にとり、ちょうどぴったりの答えを見つけるならば、
あなたはそれを偶然だと思いますか?」
(注:太字・赤字はこちらでしました)
④+⑤、⑥、⑦+⑧、⑨の四つの括りでみてみます。
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■ ④「人類がこの惑星の上で今後も生存できるか
どうかを決める決定的な問い」
⑤「すでに第三次世界大戦は始まっている」
「それは領土や宗教をめぐるものでなく、
われわれの子孫を破滅に導く時間の戦争」
一も二もあったので次は三。「第三次」(世界大戦)が
あると、子どものころは単純に思っていた。
大人になってもずっとそう思っていたけれど、歳をとってから変わった。
人類が原爆を手にしたときから、もしも「大戦」規模になれば、世界は廃墟に化す
ので勝ち負けはなくなる(つまり共倒れする)しかないので、第三次世界大戦は
起こらないと思うようになった。ところが、
少しも賢くなるどころか、ますます愚かになりゆく姿の(個人ではなく)社会を
みると、第三次世界大戦は起こりうると、また変わった。
(2001・9.11の航空機衝突テロが、WTCビルでなく原発だったのならアメリカは、
いや世界はどうなっていただろう?)
第三次世界大戦が起きてしまえば短い間に人類は破滅するだろうが、そういう戦争
らしい戦争ではないのでわかりにくいが、じわじわと緩慢に進められる「戦争」も
あるのだということをエンデに教えられた。
(いまの新型コロナは世界的な規模なのでウィルスを敵に回しての「世界大戦」
なのだろう。それならもっと人類は一致団結すればいいのに…)
エンデは「すでに第三次世界大戦は始まっている」
「それは領土や宗教をめぐるものでなく、われわれの
子孫を破滅に導く時間の戦争」と言う。
なるほど!
爆弾や弾丸などで血だらけ黒焦げとならず、じんわり死んでいく
殺されるというのもあるか。
昨年9月23日、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)の
国連気候行動サミットでの言葉 ↓
「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くという
おとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」
16歳の彼女のこの言葉に、科学的な確証はないと批判する科学者や気候変動の
専門家は(世界を見わたせば)大勢いると思う。
そういう科学者、専門家たちはきっと紳士的、おだやかに(トランプは得意の
エラそうな言葉で彼女を小バカにしたところがあったけれど)言うだろう。
「16歳のお嬢さんでは理解できない謎が地球環境科学にはいっぱいあるんだよ」
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■ ⑥「問題は全科学が自負する客観性なのです」
「客観性」を明らかにするのが科学の任務。
だが、科学はこれでいいのだろうかとエンデは問う。
(発見・発明《という科学の任務》がどれほどすばらしいことだったとしても)
「原子力」は爆弾として戦争に使われた。
↓
第二次世界大戦を終結させるために、「これ以上の被害を出さないために」という
アメリカの手前勝手な理屈(本音は原爆の威力を確かめたかった)により、
二度の爆弾投下で、「これ以上の被害は出ない」という大規模の被害を出した。
本には、エンデはアインシュタインを好かなかったと書かれてあった。
(アインシュタインは超有名な科学者。自分の理論も原子爆弾の製造に使われた
ので戦後、広島・長崎の被害を謝罪した倫理の強い人でもあった。
がエンデにしてみれば、彼の科学的業績がなければ原爆被害は起こらなかった)
地球温暖化の原因はさまざまあり、決定的なものが
何かはまだ客観的に明らかになっていない。
だが、「客観的に明らかになっていない」からといって、態度を保留するのが
科学者・専門家のとるべき態度なのだろうか。
こういう問題に、「自分はどう関わるか?」
「どう向きあうべきなのか?」という気もちを
持たなければならないのではないだろうか。
(「科学」に「気もち」?「心」?といわれそうだが)
「温暖化」の問題は「地球環境」という壮大な範囲を対象とするので科学的解明
(客観的な事実が明らかにされる)にはまだまだ時間がかかる。
温暖化の原因の大きな一つが「お金のことと経済発展」と完璧に明らかになる
時点まで対策を放っておくのか?!
将来、たとえ「お金のことと経済発展」は温暖化原因の大きな一つではなかった
という科学的結論が出ても、
「それは現実のあくまでも一部であり、
もしかしたら最も重要な部分でさえない
かもしれない」
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■ ⑦「経済は人が生活を営むための社会的行為
である以上、そこには善悪やモラルの規範が
含まれるべきである」
⑧「 経済生活を競争ではなく友愛という原理」
経済も「経済学」という(自然ではなく人文の)一科学。
シュタイナーは「シュタイナー学校」という理想の教育理論の実践で聞いたことは
あったけれど、彼の社会思想の「 経済生活を競争ではなく友愛という原理」を知り
とても強く共感した。
「誰でも納得できるまっとうな考え方」だと思った。
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■ ⑨「あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、
ちょうどぴったりの瞬間に、
ちょうどぴったりの本を手にとり、
ちょうどぴったりの答えを見つけるならば、
あなたはそれを偶然だと思いますか?」
いわゆる「シンクロニシティ」のことでしょう。
この部分は、これまでの引用と少し趣が違いますが、どういう文脈のなかで
述べられていたのか忘れてしまいました。
「そういうことってあるなぁ」とよく思う私としてはピタリ、自分の言いたいこと
でもありました。