カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.11.23 選べない物事

ちょっと前の朝日新聞「折々のことば」にあった。

 

【引用】

家も親もからだも顔も才能も何一つ選ぶことができない私たち。

誰もがそんな「選べなかった自分」の大変さを背負って生きている。 (田中美津) 

   

 「なんで私の頭の上にだけ石が落ちて来たの?」という思い。誰もが自分では選べないことで苦しむ

という不条理。

が、なぜ私だけがと苦しむのは私だけではない。点を面へと拡(ひろ)げるべく起こした70年代の

女性解放運動は、今でいう「#MeToo運動」だったと鍼灸(しんきゅう)師は語る

 

そういうこと、どれほど感じ、思い生きてきたことだろう。

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上から「石が
落ちてきた」のではなく、自分から木より)落ちるという事故に遭い

意識がなくなった。

救急車の世話になったことなど翌朝しった(テレビドラマにある「ここはどこ?」)。

死んでいたかもしれないと医者がいったので、生きのこった気もちになり、今は

2度目の人生をおくっている気がする(3回目はないだろう)

事故は仕事中で突然のことだったが、その仕事(作業)に注意がたりなかった。

そうではあっても仕事中だったので「労災事故」扱いとなった。

生きのこったことも、目が潰れなかったことも、労災もみんな「不幸中の幸い」といわねばならない。

 

選べなかったことは、生まれたときの」「」「からだ」「」「才能

だけではない。

選べなかった自分」はその後も続く。

生きているあいだ続く。死ぬまで続く。

「選ぶ」「選択する」間もなく、突然、向こうからやってくるものごともある。

 

数すくない自分で「選んだ」ものごとでも(「神のはからい」のように自分を超越した

なにかの力で)「選ばされた」のかもしれない。

 

人生とはやっかいなもの。

やっかいだから、おもしろい。

そう思わなくては損。生きていて損だと、歳とってから感じられるようになった。

 

 

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                              ちりとてちん

 

 

 

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