「ホームステイ」。
外国留学や、体験学習などの目的でふつうの家や民宿に短期間泊ることを
私はイメージする。
で、「自宅に閉じこもりましょう」といわないで「ホームステイしましょう」と
コロナ禍でうるさいほど叫ばれたのには、ちょっと違和感を感じた。
「自宅に閉じこもろう」といえば「ひきこもろう」と、「ひきこもり」を推奨しているかのようなので
お役人はこの表現を思いついたのだろうか。
でも、同じ役所が編みだした言葉、「スピード感をもって」という(「急いで」といえばすむのに)
もってまわった表現と比べればはるかに短くていい。
のちには(慣れもあるけれど)違和感を感じなくなった。
(しかし、「スピード感をもって」には慣れない)
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さいきん読んだ『カラフル』という森絵都さんの小説のなかにあった
(グーグル画像より)
「ホームステイだと思えばいいのです」というセリフに接し、
コロナ禍での使用には感じられない新鮮味をもち、
妙に感心した。
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『カラフル』はいわゆる児童文学で、主人公「私」は14歳。
(物語の趣旨は、必要最低限にとどめます)
主人公にとって学校は楽しくない。居心地わるい。
学校はイヤでも、家庭が居心地よければいい。学校での生活も耐えられる。
ところが、家族に失望することが重なり、ある日、主人公はとっさに自殺した。
死んだ。
死んで、魂はあの世にのぼるけれど、あの世の絶対者・神のはからいによる
抽選(クジ)にたまたま当たり(当たると再生できるチャンスを与えられる)、名前が
「プラプラ」という天使に担当され、助言・忠告を受けるなど助けられながら、
下界におり(期限つきで)生きなおす。
(主人公は生きなおすなかで、自分を振りかえり、なぜ自殺したかについて期限内に思いだせば
ほんとうに生きかえるのだ)
主人公は生きなおすなかで、カラフルな、いろいろな体験をし、プラプラに
助けられながらも、ついには自殺の原因を思いだし、思いだすことを通じて人間、
人生はカラフルであることに気づくという物語。
(もちろん「カラフル」とは、日々、ブログに感じさせられている「多様」なこと)
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「ホームステイだと思えばいいのです」というセリフは、物語の最後で
プラプラが言うもの。
私(主人公)がせっかく自殺の原因に気づき、また下界で生きることができるのに
不安そうなので、私にむかって言うわけだ。
「本来、あなたは私(天使)と仲間であって天界の人間なんだが、
下界にホームステイするんだと思えばいい」という意味のことを。
(主人公の私は再び、生きられることを喜びながらも、生きなおす勇気がたりないので、
天使プラプラが鼓舞するわけ)
小説では、プラプラが言う。
「あなたはまたしばらくのあいだ下界ですごし(生きなおして)そしてふたたび
ここ(天界)にもどってくる。せいぜい数十年の人生です。
少し長めのホームステイがまたはじまるのだと気楽に考えればいい」
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ここを読んだとき、私たちは「生きている」のではない、「生かされている」
ということを強く感じた。
こういう感慨が自然にわいてくるようになったのは若いときはなかった。
いい小説を読んだ。
〈オマケ〉
先日からテレビドラマで『ミステリという勿れ』というのが始まった。
その第1回目で主人公が「人には人の数だけ真実がある」というようなことを言う。
(事実は一つでも、その事実をどう受けとめるのかは、その事実にかかわる人それぞれにより、
いくつもの真実が生まれるというのだ)
このドラマはミステリーでも「ドラマ」なので、「人の数だけ真実」があっても事実は一つなので
犯人はわかり、解決した。
でも人生は「犯罪さがし」」「犯人さがし」」ではない。
いろいろな真実がゴロゴロ…。
「カラフル」だと思った。