カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.4.24 誰でもできるということ

       カメキチの目

 

 

 

内田樹による内田樹』。 

2冊目のきょうは 

■『先生は偉い』

 

 誰だって教師になれる

 

初めに【引用】

教育が成立するのは、教壇の向こう側に立っているものが子どもたちに向かって

「あなたは自分がなぜ教育を受けなければならないのか、その理由を知らないが、

私は知っている」

という知の非対称性が成り立っている場合だけです。

〈誰だって教師になれる〉

結婚がそうです。運命の赤い糸で結ばれた理想的な配偶者に巡り会って、お互いに

尊敬し合い、激しく愛し合っていなければ、結婚してはいけないというような

高いハードルを設定していたら、人類はとっくの昔に死滅していたでしょう。

親族の形成は人類の存続に不可欠の営みです。

だとすれば子どもたちを育てるときには「こういう人じゃなくちゃ嫌だ」と

いうような選り好みさせないで、「誰と結婚しても、そこそこ幸せになれる」

ような度量の大きさと適応力を涵養することが人類学的には優先する。

真に重要な社会制度は「誰でもできるように」設計されています。

 

(注:赤字はこちらでしました) 

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 とても新鮮な考えで、おもしろかった。 

  

「学校」制度がない時代から、学校での教育を受けて

いないときから、人々は結婚し、生活し、ちゃんと

人類を続けてきた。

 例としての「結婚」の話には深くうなずかされた。

 

私の父方祖母は家が貧乏のため学校教育は受けておらず読み書きはできなかった。

読み書きできなくても『桃太郎』のような誰でも知っているような話ではない昔話

をたくさんしてくれた。

彼女は「貧乏人の子だくさん」で十何人かを生み(何人かは死んだが)十人余を

育てた。

(母方祖母は字は書けたと思うが、ほかは似たりよったり)二人の祖母がいて、

父と母が生まれた。

父と母の間には、「高いハードル」になるようなものは何もなかったちょっと

くらい、《低くても》「ハードル」があってもよかったのに)。

ーーーーー 

『先生は偉い』という本は、学校の先生や親・子どもに向けた新書で、

とくに教師に元気を出してほしいと願って書かれたとのこと。

国や教育委員会など行政からの教育現場への口だしがセミのようにうるさくなり、

ゴキブリのような横ヤリが現れ始めたころに書かれたとのこと。

 

 太古の昔から、人間は先に知っている者、

できる者が、まだ知らない者、できない者に教えた 

「伝えた」という言い方が適切かもしれない。

 教える空間、場なんかどうでもよかった。

 どうにもなった。

 学校、教室が「教育」の本質ではないのだ。

 

だが、いったん「学校制度」というものが作られると、それは効率的で便利なので

急速に広まった。国民教育の場としてのさまざまな利点があり定着した。

その「学校」「教室」という利点・よさは(よくテレビで伝えられたり、映画に

もなった)「夜間中学」にとても強く感じる。

 

ーーーーーーーーーー

この本は、「教師」(すでに知っていることを教え、伝える人)という面からと、

「教育」そのものを論じていた。

 

 教育は共同体の存続のためにある

 

【引用】 

〈教育は共同体の存続のためにある〉

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの問いかけに対して、

大人たちが間違えたのは、「勉強するのは、あなたの自己利益を増大させるため

である」という利益誘導を試みたからです。

勉強するのは、…共同体が生き延びるためです。

教育を受けて成熟した成員になるのは、個人が恣意的に選択できる私事ではなく、

公共的な責務なのです。…

 

〈教育の「エンド・ユーザー」は子どもではない〉

教師たちは今、…「教育とは代価に見合う教育商品・教育サービスを提供する

ビジネスの一種である」という教育観を受け容れつつあります。

でも、教育をビジネスの用語法で語るようになったら、もう教育は終わりです。

 

たしかに大学生の数を絞れば、大学生の平均学力は上がります。…

教育の受益者が本人であるという前提に立つなら、「大学が多すぎるから減らせ」

という主張には何の論理的瑕疵もありません。

でも、共同体レベルで考えると理路は逆転します。…

大学を減らせば、たしかに大学生の平均学力は上がります。

でも、日本人の平均学力は下がる。

でも、長期的に考えたときに、集団成員の平均学力が下がり続けることで、

集団の生き延びる確率は有意に低下します。そして、現に低下しつつある。

 

(注:赤字はこちらでしました) 

 

どうして勉強しなくちゃ…?」という子どもの

問いかけ(私もそうだった。勉強が嫌いな子どものおおかたが抱くと思う)

に、おとなに(いや、老人)なったいまの自分なら

どう答えるだろう?

 

わが子の子育てのころ、教育とか学力についてあまり考えたことはなかった。

世間でよくいう「ふつうに」生きてくれればいい(というより、それがいい)と

思っていた。

それぞれが勝手に短大、専門学校に行ったけれど、そういう進学のことに親として

特に思うことはなかった(父親としての私は)。

自分の学力と親であるこちらの収入に「相談」し、入れそうなところを選んだ

ようだった。

「かわいい子には旅…」は私たちの信念だったので、卒業してからは、

早く家を出てほしかった(「出ていけ」と言った覚えはないし、

そう仕向けたこともないが、出て行った)。

 

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

 

 

 

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