カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.12・13 ど忘れ

          カメキチの目

 

 

 世の中との接触があまりないような生活を

過ごしている。←(実感)

 直接的な接点は、散歩、買物、図書館通い、毎月の

通院くらいか。

(ときどき電車外出。旅。こちらは人とのふれあいがあり、「温かさ」という

オマケがつくこともある 

 

 つまり、日常的には刺激がない暮らし。

刺激がない」ということは=退屈だと思われよう。

 

 どっこい、そうとは限らない。

=「穏やか」ということでもある。 

 私の場合は、身体に障害があり、もともと刺激を

求めようにも求められないという事情もあるが、

それを差し引いても、退屈<穏やか。

穏やかが勝っている。 

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 読書やテレビも世間・社会との「窓口」となり、

間接的な刺激となっている。

(「間接的」といえば、バーチャルなネット世界だって同じだと思う) 

 

 ある日、こんなことがあった。

 そのテレビドラマはとてもよかったので「アレ、

どんな物語だった?」とツレに聞いた。

(放送からわずか1週間もたっていないのに思いだせなかった。感動的な話だった

のでトイレに入ったとき、不意に頭に浮かんだ。けれど思いだせない)

 いわゆる「ど忘れ」というものだ。

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 いくら思いだそうとしてもダメだったので聞いた

のだ(彼女も深く感動したのに)思いだせないと返ってきた

 そのうえ「私、思いだせなくてもいい」とつれない

(思いだせないことのモヤモヤは晴れず、仕方ないので結局ネット検索に頼った。

もちろんすぐにわかり、そのドラマをみたときの感動がよみがえり、スッキリ気分

になった)

 

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 前に読んだ脳学者の茂木健一郎さんの本で、

著者のいう「偶有性」という考え方(「現実はたまたま

こうだったけれど、他であったかもしれない」というもの)

たいへん惹かれたので、この人の新しい本

『記憶脳からアウトプット脳へ』を読んだ。

 とてもわかりやすく書かれ、あーぁ、なるほど! 

納得させられることが満載だった。

 

 そのなかに、「ど忘れ」という項目があり、

関連した話まで含めれば、著者がいちばん述べたい

ことだったと思う。

 結論。「粘ってでも思いだす」ことがたいせつだ

ということ。

 思いだしたいことを粘ってでも思いだそうという

その努力が、(結果的には思いだせなかったとしても)いかに脳を

育てているかということ。

(「努力嫌い」であっても、こういう努力はしなければならないと強く感じた)

 

【引用】 

ど忘れは大きなチャンス

ど忘れの状態は何なのかというと、脳の前頭葉は「自分はこれを覚えている」

ということを知っているのですが、側頭連合野がうまく答えを返してこない状態…

 

前頭葉は「これは体験したことがあって、絶対に知っている」とわかっているので

これを思い出せ!」と側頭連合野に問い合わせているのですが、

側頭連合野から答えが返ってこず、じりじりしています。

ここで不快に耐えて、答えが返ってくるまで粘り、ついに思い出すと、

「これだよ!やっと思い出せた!うれしい!」と報酬物質であるドーパミン

放出されます。

脳には、ドーパミンが放出されると、そのときにやっていたことを

またやりたくなるという性質があります。…

 

ど忘れしているからこそ、思い出す回路を強化する機会に恵まれるのです。

 

 先に書いたように、私は努力を放棄し、ネット検索

頼ったが、先にこの本を読んでいたら、

(「…たら」という仮定は想像につながり、とてもたいせつなことだと思う。

茂木さんは、「偶有性」という言葉で表現されていたが、《私の理解が浅く、

誤解しているかもしれませんが》それは「他であったったら」「別だったら」、

つまり「想像してみること」だと思った)

このど忘れを思いだせるまで粘ったかもしれない。

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

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