カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.3.12 「過去」・「カオス」 

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書名に惹かれ、

『時間とテクノロジー(著者:佐々木俊尚という本を読みました。 

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                      (グーグル画像より)                 

 

技術の限りない進展は、時間への感覚、観念をも変えざるを得ないことを

述べています。

 

ということは、時間を生きている、時間を消費しているという自分の生き方も、

ちょっと考えてみなければならないのでは…と感じた。

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「時間」と「テクノロジー(技術)」。 

漠然とながら、若いとき観たチャップリンの映画『モダンタイムス』を想う。

チャップリン歯車回転巻きこまれ、歯車どうしのかみ合わせのすき間に、スルメイカ、または

のしダコのような姿のチャップリン流れる

だが、オートメーション工場の労働者になったことがないので実感はなかった。

 

しかし『モダンタイムス』から〇〇年の現代。

身近なところにコンピュータ技術が現れ、それが見るみる間に進化してゆくのを

肌で感じるようになった。

スマホは次から次へと生活場面のさまざまなことを実現、可能にしてゆく。

(まさに「生活革命」だ

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著者佐々木俊尚さんは、テクノジーの飛躍的な進展が私たちの「時間感覚」に

変化を及ぼさざるを得ないほどの影響を与えているとし、読者をして生き方まで

考えさせる。 

(興味を持たれる方は是非、お読みください。硬そうな題名にかかわらず、「ですます調」を使い

とても読みやすく、わかりやすく書かれています)

 

強く感じたことを書きます。

それは「過去」、「カオス」、「自由」と「豊かさ」、「自由」と「ナッジ」

きょうは「過去」と「カオス」。

「自由」と「豊かさ」、「自由」と「ナッジ」は次回とその次に書きます)

 

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過去

■ 【引用】

鮮明な過去はつねに改変され、郷愁は消える…

 過去は「デジタルコラージュの寄せ集め」… 

 忘却は、私たちが摩擦なく生きていくためには重要な要素です…

 あらゆるものが鮮明にアーカイブされたことで

 私たちは郷愁を失いつつあるだけでなく、忘却による過去の美化さえ

 できなくなってきているのです… 

 

「現在」は、「今・ここ」にしか在りえない。 

 

「過去」はリアルに存在した。

が、その証しは自分の心と頭に思い出・記憶として、アナログ時代には)記録物

としては自分の書(描)いた日記(絵)、写真などなど)として残っているだけだ。

 

ところが現代は、テクノロジーの飛躍的な進展によって、過去は

デジタルコラージュの寄せ集めとなりつつあり、過去は

つねに改変され郷愁は消える」おそれがある。

逆に消えてもらいたい過去は消えず、

忘却は、私たちが摩擦なく生きていくためには重要な要素」なのに、

忘却による過去の美化さえできなくなってきているという。

 

代は、知りたいことはインターネットさえあれば誰でもどこにいても知識も

情報もすぐにわかり、好きな音楽や映像も配信サービスを利用すれば、アクセス

でき楽しめる。

昔のように、面倒な手間ひまかけて図書館に通い、本屋をうろうろし、レコード

(CD)を探し、写真屋さんや映画館に足を運ばないですむ。

要するに、時間が大きく短縮された。

とてつもなく便利、快適になった。 

 

便利で快適な生活ができるようになったけれど、

「過去」という自分たちの記憶・記録が怪しくなってきた。

確かなものとは言えなくなった。

(人生を豊かにしてくれるはずのテクノロジーの進歩が、人生を貧しくしているのじゃないだろうか?

ということを、ときどきはかえりみ、問うてみなければならないと思った。

しかし、

ここでは人間の身体の外のテクノロジーの飛躍的な進展の生活に及ぼす「時間短縮」的なことなどを

いっていますが、

身体そのもの、生物としての人間を扱う「バイオテクノロジー」からすると、《ヘンな表現ですが』

カワイイもんだとも思った。「クローン人間」「デザイナーベビー」…など身の毛がよだつ話題に

こと欠かない現代テクノロジー

《ところで今、「クローン人間」なるものについてフッと思いました。たとえ未来でロボットみたいな

人間がたくさん「つくられた」としても、「ロボット」ではなく「人間」である限り、

彼ら一人ひとりの人生までもがクローンではあり得ないだろうと》)

 

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カオス

■ 【引用】

確立の世界は、あらかじめ決められたルールの存在しない世界です。

カオスの世界では、小さな力が大きな影響を引き起す…

摂動が大きな影響を与えるカオスの世界では、単純な因果関係は成り立ちません…

そして小数点以下の誤差の読み取りに限界のある私たち人間やコンピュータには

摂動は認識しきれない。

カオスの世界でどのような結果が待ち受けているのかは予測できないのです。…

 

どれほどテクノロジーが進んでも、「自然」と「世界」は混沌としている。

カオスはカオス。

(たとえば地震《きのうは東北大震災から10年という節目。地の揺れ、津波はコントロールできないが

原発はコントロールできる、廃絶できる》。

自然からの災害を防ぐために多くの研究、対策がなされてきたが、地震の予測は非常にむずかしく、

「むずかしい」というより「不可能」だと現在は考えられているとのこと)

 

リアルはカオス。

(小数点以下が∞に続くのがリアルな世界のあり方であることがわかっているし、

地震発生のメカニズムは限りない要素が原因となっているという)

どんなに精巧なコンピュータでも認識しきれないという。

 

自然だけじゃなく、人生もカオスだと私は思う。

地震に遭い、助かる人と助からない人がいる。なぜAさんは生き残り、Bさんは死んだのか…)

人間の手を超えた世界、神の存在を想わなければ信じられないようなことが

リアル、現実の世界では起きる。

 

自分の存在じたいがすでにカオス。

カオスである自分の人生を楽しむ。

それが生きるということだろうか。

 

 

 

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                        ちりとてちん

 

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