カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2013.11.9 食べることは生きる根本) 

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 いまのNHK連ドラ『ごちそうさん』。主人公や恋人(もう夫となった)のうまそうに食う姿をみていたら、こっちまで引きつられてしまった。

 主人公が女学校を卒業する日のシーンでは、担任の先生(ドラマでは別に大きな存在ではないのだが)が教え子たちへのはなむけのあいさつでズバリ。

食べることは生きる根本です」

 それをみていた妻は、(先に)相槌を打った。「その通り!」。いっしょにみていた私もそれに続いた。「続く」というより、私は私で7年前の『ダブルパンチ』から「食う」ことを強く実感・自覚しているので、+α(プラスアルファ)の気持ちを込め、独自に叫んだ。「その通り!」

 

「食べて」「食って」はヒトもその一種、生き物の基本的な生命活動である。

「人はパンのみで生きるのではない」という有名な言葉もあるが、まずパンがなければ考え、思うことはできない(もちろん正確に言えば、“身体”と“精神(脳)”をきっちり分けられるものではないだろうが)。

 いまの日本では、リモコンやケータイのボタンを押すだけで多くのことができ(最先端は画面をなでる。「押す」から「なでる」か。次はなんだ?)、ホントに便利になった。快適になった。しかし、「便利」や「快適」は、「必要」とはちがう。必要なものごとにだまされることはあまりないが、「便利」や「快適」にはときどきだまされる。「必要」ではないので、現実(リアル)かバーチャル(仮想)かわからなくなることがあるのだろう。

(私の目は“複視”といって物は二つ《それ以上のこともある》見える。どっちがホントだろう?と迷うこともしょっちゅう。そんな私が車のハンドル握ればたいへんにことになる。面倒くさがり「えぃ、行っちゃえ!」となりそう。で、こわくなり、2年前に運転免許を返納した)

 私はいま、実像と虚像がいり混じったこんな社会・世の中を生き抜くために、「自分の身体を使うことをだいじにしなければならない」ことを強く思っている。「身体の声を聴く」「身体で覚える」という言葉があるが、歳とって実感できるようになった。あれこれのさまざまな体験を積み重ねるうち、いちばん信じられるのは自分自身の身体の感じだと思うようになってきた。

 この前の『…マルクス…』の著者Uさんも同じようなことを言っていた。“当然”とか“あたり前”と考えたり思っていることものごとも、いま一度「身体性」で見直してみようと。つまり、いちばんだいじなのは 「ごちそうさん

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 小さな子どもがおやつを食べているときの顔ほど、“幸せ”を感じさせてくれるものはない。これを仏教では“顔施”という。顔で施す。子どもは最高の笑顔を私たちに与え、幸せにしてくれる。

 

                                ちりとてちん

 

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   おもしろ写真(まぁ、これを「おもしろい」と

  思うかどうかは、みる方それぞれでしょう)

   頭に乗っかっているのは、「タコ」。

  100円ショップで見つけた健康グッヅです。

  (もちろん、頭に飾るものじゃありません。

  揉んで気持ちよくなるモノです)

 

 

 

 

 

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