「小欲知足」を初めて知ったときすばらしい! そうありたいと心から思った。
そのときは真実思ったけれど、翌日には忘れていた。
忘れても心を打った言葉はときどき思い出す。
思い出しても若いころは心の中で言い訳し、実行は棚上げした。
老いとともに意図しなくても自然に(自分流だが)「小欲知足」できるようになった。
(欲望が減ったというより、たぶん、欲望を持つことが面倒くさくなったのだと思う。
そう思えば欲がある、ギラギラしているのは生のエネルギーに満ちあふれているから。
枯れつつあるいまの自分を顧みて思う。
だけど天気に晴れだけでなく曇り、雨…それぞれあるように、老いは老いだけのもの。
《と、こんなことを書いてくると、さっき見たテレビドキュメンタリー「子どもホスピス」の
老いどころかほんの短い間しか生きられなかった子どもたちの人生を思う》)
ーーーーー
「小欲知足」とひと口に言えど、その実践は人によってさまざまだと思う。
(「小欲知足」にこだわる私の解釈は正しいのかと心配になったので、
その言葉をネットで調べてみた。
ちなみに「AIによる概要」を見たらとてもいい解説と思ったので紹介します。
- 欲望は自己増殖的に新たな欲望を生み出し、無限にふくらんでいく本性がある。
- 欲望をなくすことや心が穏やかなことを意味するのではなく、謙虚にこの言葉の心を聞いていくことが大切。
- 欲には“良い欲”と“悪い欲”があり、なるべく良い方向へコントロールしてあげる事が大切。
- 満足を知り、喜ぶことによってこそ欲望が減少する。
)
① 欲望は放っておけばキリがなく増えていく。
あるところで自分は「これでいい」とストップをかけなければならない。
② 「小欲知足」とは欲望をなくすことや心が穏やかにすることではない。
③ 欲望には良し悪しがある。それを見分けなければならない。
ーーーーー
①だけでわかったつもりでいたけれど、②や③まで考えたことはなかった。
(AI、教えてくれてありがとう!)
②→飽くまでも現在の欲の総量を減らす、小さくすることであり、
その結果、心が穏やかになってもそっちが目的ではない。
③→したい、やりたいこと(欲望や欲求)をその都度、いちいち
「この欲は良いか悪いか?」と分けて考えたみたことはない。
が、本当はそこまで考えてみなければならないと思った。
ーーーーー
個人の生き方、人生を問うなら「小欲知足」は可能でも、
やっぱり社会に持ち込もうとするのは不可能、無理というものか。
「持続可能な社会」は、やっぱり「持続可能な成長社会」でしかあり得ないのか。
湯上りに 爪立てむく 蜜柑かな 西村和子