働いていたとき、職場は子どもの生活施設だったので、彼らを通して地域の姿、
移り変わりが本当によく見えた。
(自分の若かったころは地域には人が多く、子どももよく見かけた。
が、だんだんと人は減り、子どもも減って《残念ながら施設に入ってくる子どもたちは減らない》
地域の祭の際、神輿かつぎの子どもが足りないので《それまで施設は地域に疎まれることもあった
のに》施設の子どもたちを出してほしいと頼まれるまでになった。
「人口減少」は、もちろん働いていた地域だけのことではなく全国的な「問題」となっていた。
どういうわけで日本国では《戦争もないのに》人が減ったのだろうか?
《国ともあろうものが、私が子どものとき社会科で習った「釣り鐘型」の人口図が今日のように
なることは、福島原発事故の「想定外」じゃあるまいに、ちゃんと予測できていたはず》
理由はさまざまなのだろうが、果たして「人口減少」は社会、国の「問題」なのだろうか。
「成長」を目指す国にとっては問題なのだろうから、「少子化」問題と呼び問題化するのだろう。
《ちなみに生産の場から引退し、齢ばかりとってゆくばかりの年寄りを《反乱を恐れて言いは
しないが内心「ごくつぶし」として》こちらは「高齢化」と呼んで同じく問題化する》)
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日本国だけではなく人類は「成長」をやめないと生き続けることが難しいと思う。
(現在の地球全体の人口は80億人という。
80億と聞いて頭がクラクラする。
80億人が多いのか少ないのかは相対的な比較の問題だからわからない。
ただ、「鶏と卵」の関係みたいでどっちが先か後かはわからないけれども、
衣食住の生産が増えたから、つまり「成長」したから人口は増え、新たに増えた人が
生産にたずさわるのでまた「成長」…と、好循環というサイクルは半永久的に
繰り返しが可能だと人間は勘違いしたのかもしれない。
ともかく、増えた人の分を生産しなければならないから、「成長」はやめられない
との理屈は理解できる。けれど…
80億というとてつもなく大きい数。ピンとこない。
その80億のうちには住む家がなく、ボロをまとい、食うや食わずの飢えすれすれの
人々が限りなく大勢いるに違いない。
ごくごく一握り、数えられるほどの富豪の富が、ほとんどの地球人、数えきれない
貧乏人の富に等しいという話はよくいわれる。
80億人の現在だけではなく、これからの地球人の生存も保障しようとするなら
「成長」という方向ではなく、「格差是正」という方向でしか生き延びれないと思う)
もっとも「成長」をやめないでも、その前に第三次となる戦争が勃発して人類絶滅
となるかもしれない。
たとえ被害をまぬかれ生き延びたとしても、放射能に汚染された地球では
いまのヒトのままでは早かれ遅かれ死ぬしかない。
(放射能だらけの地球になっても、それを食って生きるゴジラのようになるのにはあまりに
膨大な時間がかかるし、放射能のせいで突然変異が起きれば時間がかからないかもしれないが、
突然変異の個体が何者になるかはわからない)
私たちが習った日本史や世界史のような歴史、何度かの新しい世界、社会体制への
発展、移り変わりはもう繰り返せない地点に現代は到達していると思う。
そうならば、これからも地球で生き続けていこうとするならば、
ヒトは人間になって「持続可能な社会」をつくっていくしかない。
世界のつながりは「グローバル」を超えて「一体」化し、「格差是正」の道を進む
しかない。
地球全体を視野にせざるを得ないところまで現代という時代が来ていること、
ここに至ってさまざまな地球環境そのものを危惧する問題が、自然の異常、
災害の多発という形で頻発に現れている。
(たとえば世界的な異常気象による大災害)
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私は人間社会のあって欲しい「お花畑」のような姿(希望)と、いま直接に自分が
被害に遭っているわけではないが、現状がこのまま進めば必ず行き着くに違いない
と心配(危機)を、寝言のように言っているに過ぎない。
けれど、愛読ブログの爽風上々さんはまったく違う。
(同じようなところというと読書感想ということくらい)
ずっと以前からエネルギー問題には特に熱心で、本だけではなくネットからも
科学的な、客観的な根拠のあるものを調べられて記事にされる。
(うまくまとめられた本当にわかりやすいものです)
最後に、爽風上々さんの最近の記事三つのリンクを張ります。
是非ともお読みください。
ゆたんぽを 入れてふとんの 端たたく 小原琢葉