カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2019.9.24 『〈いのち〉とがん』

         カメキチの目 

 

 

『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと

という本(新書)読んだ。

 著者は坂井律子さんといい、NHKのベテラン職員

(本は2019年2月に出版。著者が苦しいなか、あとがきを書かれたのは2018年

11月で、のときはすでに再再発、転移。

その後しばらくして、亡くなられた)

 

 膵臓ガンだった。

膵臓ガンはその難治性ゆえに、ガンの「王さま」などという「隠喩」の表現が

よくされるが、著者は当事者になってみて、そういう隠喩がどれほど患者を

傷つけるかということを述べておられていた。それが強く心に残った) 

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 現在は、ガン細胞が遺伝子レベルまで解明され、

その研究成果が治療に取りいれられ、昔なら(これなら)

「ダメといわれたガンの生存率が格段によく

なった。

 坂井さんは膵臓ガンとはいえどもまだ手術ができ、

はじめは一命をとりとめたものの、再発、再再発、

肝臓やリンパへの転移と、ふつうだったら絶望的に

なるところ、(本で詳しく述べておられるように)ご自分で

現代医学の最新(かつ最善)情報を探し、調べ、味方に

つけるなどの努力をされ、「闘」われた。

(著者は働きざかりだった。それも責任感が強く、仕事に情熱を注いでいる方

なので、そういう人生への姿勢が前向きな闘病生活を生みだしている。

自分なら性格的に怠惰、痛みにはがぜん弱いときているので《たとえ働きざかりで

あっても》とうに《確実に》音をあげ、自分のそういうヘタレを正当化する

屁理屈を考え、納得しているに違いない)

 

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 私もガンの闘病記はずいぶん読んできたが、

どれも「闘病記」という感じで、臥床から、ご本人の

頑張る姿がひたひた押しよせた。

 

 ところが、坂井さんのはご自分を見る目が涼しいと

いうか、筆致がきわめて冷静で、そのことが私には

印象深かった。

 

【引用】 本の終わりの方だけ

がんと死

がんになったといって死ぬわけではない。…

死はイコールではないにしても、そこにあり続ける。…

 

死を受容するということ…だが、私は、私の友人や父の死を振り返り、そして、

自分がこのような死を間近にした症状を迎えている今、死は別に受容しなくても

いいのではないかと思っている。

受け入れることができる人がいるかもしれない、でも、受け入れる人がいなくても

いいのではないか。

私はまだ受け入れているとは言い難い、いや、最後まで受け入れるという気もちに

なるとはとても思えない。

受け入れなければ穏やかになれないというものではない。…

ただ死ぬまで生きればいいんだと思う。…

 

生きるための言葉を探して‐あとがきにかえて

「言葉は凄い」、「言葉があってよかった」そんな気もちを強く持つように

なったのは、病を得てからのこの二年半のことである。どれほどの励ましが

私に力をくれただろうか。…

よく、患者に「がんばれ」「待っている」はご法度で、プレッシャーをかける

という意見も目にするが、私はどんな言葉も嬉しかった。…

 

書く立場になったとき―。

闘病は、最も個人的な経験でスタートするが、それが個人や家族に「閉じない」

ことも、また、めざしたことである。闘病記はどれも尊い。しかし、それを

読み終わったとき、「密度濃い人生を生きた」、「その人らしく生きた」、

病になったことでより深い境地に達した」と、読者が消費して終わってしまう

ことを避けたい―。…

タイタニック』のセリフに引いたように、

それは「とてもそんなものでは…」すまない体験だ。

だから、感動や涙…といったことで終わりたくないというのが、これまでの

(テレビ番組制作者としての)自分の読み手、作り手としての自戒である。…

もし「当事者」にしかわからないのであれば、私たち「伝える」仕事の意義は

なくなる。「当事者」の考えや体験を最大限に尊重しつつ、それを「まず知る」、

「想像して共感する」「共感したところから、いっしょに考える」…

そういう行動をしたいと思ってきた。

そのために「伝える」仕事もあると思ってきた。

その「伝える」という行動の基盤となるのは「言葉の力」である。

(※ 黒字の部分は私の挿入です)

 

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 話が変わり、働いていた職場での、今からいえば

40年ちかくも昔のこと。

 

 勤めだして数年のうちに、まだ50代の方が膵臓ガンに

なり、一度しか見舞いにいかないうちに亡くなられた。 

 その後の10年余りのうちに新たに、三人の方がガンで

逝かれた。

(よく思いだすと、三人の方も二三度しか見舞えなかった。しかし、薄情な私でも

十日に一度は病室を訪ねていた。しかし、亡くなられるまでの日数が短かった。

当時はガンは実に恐ろしい病気だったのだ。いまならさまざまな治療の手だてが

あるのだろうに。

たとえ完治には至らずとも、ずっと長く生きられるだろうに)

 

 

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                          ちりとてちん 

                             

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