カメキチの目
『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』
という本(新書)を読んだ。
著者は坂井律子さんといい、NHKのベテラン職員。
(本は2019年2月に出版。著者が苦しいなか、あとがきを書かれたのは2018年
11月で、そのときはすでに再再発、転移。
その後しばらくして、亡くなられた)
膵臓ガンだった。
(膵臓ガンはその難治性ゆえに、ガンの「王さま」などという「隠喩」の表現が
よくされるが、著者は当事者になってみて、そういう隠喩がどれほど患者を
傷つけるかということを述べておられていた。それが強く心に残った)
現在は、ガン細胞が遺伝子レベルまで解明され、
その研究成果が治療に取りいれられ、昔なら(これなら)
「ダメ」といわれたガンの生存率が格段によく
なった。
坂井さんは膵臓ガンとはいえどもまだ手術ができ、
はじめは一命をとりとめたものの、再発、再再発、
肝臓やリンパへの転移と、ふつうだったら絶望的に
なるところ、(本で詳しく述べておられるように)ご自分で
現代医学の最新(かつ最善)情報を探し、調べ、味方に
つけるなどの努力をされ、「闘」われた。
(著者は働きざかりだった。それも責任感が強く、仕事に情熱を注いでいる方
なので、そういう人生への姿勢が前向きな闘病生活を生みだしている。
自分なら性格的に怠惰、痛みにはがぜん弱いときているので《たとえ働きざかりで
あっても》とうに《確実に》音をあげ、自分のそういうヘタレを正当化する
屁理屈を考え、納得しているに違いない)
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私もガンの闘病記はずいぶん読んできたが、
どれも「闘病記」という感じで、臥床から、ご本人の
頑張る姿がひたひた押しよせた。
ところが、坂井さんのはご自分を見る目が涼しいと
いうか、筆致がきわめて冷静で、そのことが私には
印象深かった。
【引用】 本の終わりの方だけ
[がんと死]
がんになったといって死ぬわけではない。…
死はイコールではないにしても、そこにあり続ける。…
死を受容するということ…だが、私は、私の友人や父の死を振り返り、そして、
自分がこのような死を間近にした症状を迎えている今、死は別に受容しなくても
いいのではないかと思っている。
受け入れることができる人がいるかもしれない、でも、受け入れる人がいなくても
いいのではないか。
私はまだ受け入れているとは言い難い、いや、最後まで受け入れるという気もちに
なるとはとても思えない。
受け入れなければ穏やかになれないというものではない。…
ただ死ぬまで生きればいいんだと思う。…
[生きるための言葉を探して‐あとがきにかえて]
「言葉は凄い」、「言葉があってよかった」そんな気もちを強く持つように
なったのは、病を得てからのこの二年半のことである。どれほどの励ましが
私に力をくれただろうか。…
よく、患者に「がんばれ」「待っている」はご法度で、プレッシャーをかける
という意見も目にするが、私はどんな言葉も嬉しかった。…
書く立場になったとき―。
闘病は、最も個人的な経験でスタートするが、それが個人や家族に「閉じない」
ことも、また、めざしたことである。闘病記はどれも尊い。しかし、それを
読み終わったとき、「密度濃い人生を生きた」、「その人らしく生きた」、
「病になったことでより深い境地に達した」と、読者が消費して終わってしまう
ことを避けたい―。…
『タイタニック』のセリフに引いたように、
それは「とてもそんなものでは…」すまない体験だ。
だから、感動や涙…といったことで終わりたくないというのが、これまでの
(テレビ番組制作者としての)自分の読み手、作り手としての自戒である。…
もし「当事者」にしかわからないのであれば、私たち「伝える」仕事の意義は
なくなる。「当事者」の考えや体験を最大限に尊重しつつ、それを「まず知る」、
「想像して共感する」→「共感したところから、いっしょに考える」…
そういう行動をしたいと思ってきた。
そのために「伝える」仕事もあると思ってきた。
その「伝える」という行動の基盤となるのは「言葉の力」である。
(※ 黒字の部分は私の挿入です)
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話が変わり、働いていた職場での、今からいえば
40年ちかくも昔のこと。
勤めだして数年のうちに、まだ50代の方が膵臓ガンに
なり、一度しか見舞いにいかないうちに亡くなられた。
その後の10年余りのうちに新たに、三人の方がガンで
逝かれた。
(よく思いだすと、三人の方も二三度しか見舞えなかった。しかし、薄情な私でも
十日に一度は病室を訪ねていた。しかし、亡くなられるまでの日数が短かった。
当時はガンは実に恐ろしい病気だったのだ。いまならさまざまな治療の手だてが
あるのだろうに。
たとえ完治には至らずとも、ずっと長く生きられるだろうに)