♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯
(人目の方)
わざわざ食事のことを書こうとするには、それなりのワケがある。
ワケというのは、いっぱい食べ残してしまうからです。
胃がないからあんまり食べられない、というわけである。
だから、紅葉とはいっさい関係ない。
(これから話すことは、「ああ、胃がない人ってそうなんだ!」と思い聞いてください。あくまで特殊な話です)
宿での一番の楽しみは、大かたの客にとっては食事だろう。
-お膳-
栄養的にもちゃんと考えられ、そのうえ見た目にも美しい。きっと職人かたぎの調理師さんがつくり、ひとしなずつ、彼らのきびしい目をくぐりぬけたにちがいない。
それを、食べ残すわけだ。バチアタリなことである。
素材のたくさんの生命(肉や野菜など)に対し、従業員のみなさんの心づくしに対し、申しわけない。
ところで、
なんで食べ残す?
食べられないからである。
いまでは(ということは昔は平気だった)、カラスが残飯をあさったような痕跡を残すのはみっともないと思うようになり、はじめから手をつけないものもある。「せめて味見くらいしたら。これ、おいしいよ」と、隣から彼女が言うほどである(たしかに金払って泊まっているんだけど…。悩む)
そういうこともあって旅は、はじめから夜もバイキング形式で食べさせてくれる宿を探す。小食者には圧倒的にソンなのではあるが、残さないですむ。胸の痛みを感じなくていい。ずうずうしい私ではあるが、それは損得の問題ではないと納得している。
これで、残してゴメンなさいの話は終わりです。
山を下りるときには遠く、名峰が眺められた。眺めながらの朝食をとった。思うことがいろいろあり、ちょっぴりセンチになった。そっちは少女マンガみたいだが、私にはもちろんギャグの方が似合っている。ギャハハハー
帰りは、絶対立ちたくない、バスの床に坐りたくないので、30分以上前から宿の前にあるバス停に並んだ。そのかいあって前の方のいい席に坐れ、終点のJR駅まで車窓に釘づけだった。ことしの「秋の遠足」は、こうして終わった。
(やっぱり往きの運転手さんはおせっかい、いや親切だったのだ。なぜなら帰りのバスでも坐れない人たちが出たけれど、段ボールはなかった)