前にも記事に書いた益田ミリさんのエッセイをまた読んだ。
『永遠のお出かけ』という。
(「グーグル画像」より)
「永遠のお出かけ」というのは死で、お父さんが亡くなられたのだろう
と想ったらそうだった。
今回はお父さん(お母さんも)との思い出を中心に21の話が書かれてある
益田ミリさんは40代の漫画家でエッセイスト。
だいたいがエピソード話で、普通の庶民なら誰もが感じるとても身近な
生活くさい、でも心にツンとくる話が多い。
とくに今度のはお父さんとの思い出の話がよくあったので、
郷愁を引きおこす昔話が大すき老人にはよかった。
ガンで余命宣告を受け、亡くなられるまでのお父さん。
いて「あたり前」だった人が、ある日、いなくなった。
「永遠のお出かけ」
(さすがは益田さん! 心にピッタリくる表現をされるなぁと感心した)
みんな何でもないような話であるが、心に響いた三つのことを。
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■ 一つ目 「おでんを買いに」
お父さんはご自分の病気のこと、うすうす気づいておられたようだが
あまり長くはない命だと告げられ、残りは大好きな家で過ごすことに
された。
そのことをお母さんから聞き、益田さんは休みをとり実家の大阪に
帰った。
(著者は独身で、東京で仕事をし暮らしている)
「おでんを買いに」の話は、そのときはまだ元気だったお父さんと、
お父さんの好きな食べものを近所の店(おでんは「セブンイレブン」)に
いっしょに買いに行ったエピソードだ。
(以下の引用は、直接はおでんの買い物とは関係ないけれど、こう書かれていた)
【引用】「離れて暮らしていると実家での細かいやりとりが伝わってこない。
伝えないでくれているとも感じる。
それをいいことに、わたしは父に迫っている死を前に仕事をしたり、
秋物の服や靴を買ったり、カフェでケーキを食べながら本を読んだり…」
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■ 二つ目 「桜花咲く頃」
お父さんは秋に亡くなられた。
その半年前、桜を見に行きたいなぁと言われたが、そうは言っても
短期でわがままなお父さんといっしょの花見はこれまで楽しくすんだ
ことがなかったので、益田さんはお母さんとだけで見に行った。
体調をくずし再び入院。亡くなられるちょっと前のこと、
見舞ったときお父さんは「ケンタッキー食いたいなぁ」と言われた。
が、病院から買いに行くのはバスに乗らねばならず、他にもいろいろ
理由があって結局、面倒なのでやめた。
結局、これが父との最後になった。
(グーグル画像より)
【引用】「桜並木とケンタッキーフライドチキン。
並べて書いてみればなんの脈絡もない。
しかし、どうだろう。素直に気持ちを伝え、面倒くさがらず生きろという父からの最後の教訓と
受け止めることもできる気がした」
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■ 三つ目 「あとがき」
21個のエピソードのようなエッセイの終わり、あとがきの最後に
こうあった。
【引用】「振り返ってみれば、どんな言葉も時間ほどの力は持っていなかった。
それは父の死による学びだった」
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時間。
子どものころは、学校で「時の記念日」を聞いたときくらいしか、
時間というものを思うことはなかった。それは短い時間だった。
まだ長い時間があることを感じていなかった。
それを感じるようになったときは、すでにいくらか経っていた。
気づいたら20。気づいたら30。気づいたら40。気づいたら50。…
「どんな言葉も時間ほどの力は持っていなかった」