とても強く感じたことの三つ目は、
「病気を分け持つ」ということだった。
この話は「病と癒し」という大きな項目のなかにある。
重い病気やわけのわからない病にかかると、誰しもたまらなく不安になる。
癒しがほしい。
癒しとなるものは人それぞれでも、「病気を分け持つ」ということも、
病気からの痛みを減らし取りのぞくこととともに、
誰にとってもの癒しとなるにちがいない。
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本では「病気を分け持つ」の前に、「病気は代替不可能」と述べられていた。
【引用】
「病気は、…(病人自身のものにもかかわらず)他の人々をも脅かす。
人間にとって病気が持っているこのような矛盾した属性を極力無視するのが、
現代医療の基礎となっているバイオメディスン(生体医学)の特徴である。
…
(病人と健康人の)相互作用の関係を、バイオメディスンは原理的に切り捨ててきた。
しかし、医療実践においてはこの相互作用こそ視野に入れなければならない」
好きな人、愛している人、とくにわが子が大病やひどい事故にあったとき、
親ならほとんどの人が「代替不可能」とわかってはいても、代わって病み、
代わって痛みたくなる。
この親の気もちほど、いちばんの癒しとなるものはない。
(それが「病気を分け持つ」ということ)
「代替不可能」だからこそ、「分け持つ」ことだけしかできない。
さまざまな具体的な「分け持つ」行為が癒しになる。
(「病気を分け持つ」という考え方がまだ残っていることを示す行為が「病気見舞」
と述べられてありハッとした。
「病気見舞」のとき、その人の病気が治りますようにと思っても、わが事ととして「分け持つ」まで
思ったことはなかった。私はこんなふうに深く考えてみたことはなかった)
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著者は現在、79歳の文化人類学者。
若いときだから昭和の時代、フィールドワークとして日本各地でたくさんの
現地調査、聞きとりをされた。
その一つ、「ニンギトウ」が強く心に残った。
【引用】「ニンギトウ-病気を分け持つ信仰
(ニンギトウとは)ムラの全戸から一人ずつ代表が出て神社に集まり…病気の回復祈願をする。
その際人々は紋付羽織を着た正装姿で集まり、昼間であってもかがり火をたいて、
「お伊勢音頭」という祝い歌を太鼓を打ちながら歌う
(そして村の人々は、「ニンギトウをしてもらっても助からなければ、それが寿命というものだ」
と思う。ニンギトウへの篤い信頼が伺われる)
…
生命にかかわるような重い病気の場合(錯乱状態のような「これはただごとではない」ものも)、
医療の力ではもうこれ以上の効果が望めないような状態になると、人々はニンギトウの力に頼った…
それを「気休め」だといえばそれまでのことである。…
何かをしないではいられない周囲の人々が気休め(の)「神頼み」…という解釈ができなくもない。
しかし、…「何もそこまでしなくてもよいのではないか」と思うほど、それはそれは手のこんだもの
なのである。…
病気に対して周囲の人々が自分の持っている生命力を少しずつ分け与える意味を持つ行為である→
(重い病気を抱えた人は一人で背負うものではなく、いくらかでも人々に分け持ってくれるもの)
…
病気は、他の人々によって代替され得ないものであるのもかかわらず、あたかも代替せられたり
分割され得るものであるかのように儀礼を通して病気に対処するのである。
…
伝統的な医療が持っているこうした「病気を分け持つ」という考え方を現代的に読みかえて取り入れる
ことが必要ではないだろうか」
儀式としての「ニンギトウ」のようなものは、地域のつながりがあればこそ。
村の衰退とともに消えていく。
けれども、心配する個人の心は消えることない。
(「お百度参り」のようにいまも残っているものもある)
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現代の「医療実践」では、「在宅医療」という道が選べるようになってきた。
「在宅医療」は、ずっと昔からふつうに見られた伝統的な医療だ。
家族で病人をみる。
(治るのだったら入院がいいけれど、不治の病になったら在宅が《可能ならばの話》いいなあ)
それは、「病気を分け持つ」という考え方を現代的に読みかえて取り入れるもの。
それは、病人と健康人の相互作用の関係を取り入れるもの。
医療実践においてはこの相互作用こそ視野に入れなければならない