戦争は悲惨きわまりない。
悲惨きわまりなくても、人が意図して起こす。
だから無くそうとしても、当の人間が「起こさない」ように変わらなければ
無くならない。
同じく悲惨きわまりなくても、自然災害は違う。
(「自然災害」といってもさまざまで、地球活動、自然現象が人の生活に害を及ぼすものをいう。
その中でも圧倒的に多いのは雨の降り過ぎ《降らな過ぎは「干ばつ」などを起こす》。
「集中豪雨」という言い方が昔からあるけれど、科学技術の発達で大気や雲の様子が詳しくわかり
昔はなかった「線状降水帯」という言葉も生まれ、それが局地的な豪雨災害を引き起こすことが
わかった)
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8日、ニュースで鹿児島の霧島市、姶良市の「線状降水(雨)帯」の襲来による
豪雨被害を見た。
いまはスマホのお蔭で多くの人々が「カメラマン」となり記者となって、
自分が体験(体験中)した庶民の生活目線での生々しい災害現場の姿が発信される。
(線状降水帯は、その後も九州各地をはじめ次から次へと容赦なく押し寄せ、当然のように
災害をもたらした)
これほどの被害の惨状、酷さは、災害大国日本といえども、空間・地理的には
ほんのごくごく一部。
歴史・時間的にも(数十年、百年に一度あるかないかの)ほんのごくごく一部のこと。
(しかし、それらを足せば、合わせれば膨大になると思うけれど…)
ほとんどの人には(いまは)他人ごとなのだ。
(自分たちは《いまは》マジョリティの立場であり、被災者はマイノリティの立場なのだ。
マイノリティとはいえど被害者は確実に人生を狂わす。
「ほんのごくごく一部」であれ、日本全体で見れば必ずどこかの誰かの大問題)
いつどこで自分が自然災害の被災者になるか、わからない。
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「災害」というけれども、それは人間、生きものにとって「害」になるだけで、
地球にとっては自然なこと。
人間にすれば相手は自然現象だから、完全な対策なんかできるわけない。
せいぜい自然災害を減らす(減災)、被災した後の対応をより良くするのが
精いっぱいだ。
だから、国は最初からある程度の被害はやむを得ないと諦めているだろうか?
はじめから、「撲滅」という発想はないらしい。
(「南海トラフ大地震」のようにさまざまな関連分野の科学技術の力の結晶で、その発生自体と
その大地震の震度や津波の高さが高い確率で予測される場合、「可能なかぎり」の対策がとられるが
かなりの被害は確実視され、対策・対応はあくまで「減災」にとどまっている。
「可能なかぎり」できるだけだ。
万一、押し寄せてくる津波から逃げ遅れ、自分が被災したらウンが悪かったと納得するしかない。
国は、広報NHKが言うように、「誰一人として取り残さない」とはいかないことはわかっている。
国は、政治は、「誰一人として取り残さない」よう努力すればいいわけだ
《ふざけるな!》)
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そういう現実がありながら、一方では「宇宙(軍事)開発」。
何でも可能にしそうな勢いの人工知能、AI。
宇宙やAIもいいけれど、先日の霧島や姶良の豪雨災害の惨状を見ているとき
ふっと思った。
「宇宙(軍事)開発」やAIの先進科学技術は、自然災害を大幅に減らす目的に
活用できないのだろうか?
できたらどれほどすばらしいか!」
(「線状降水帯」が苛酷な被害を及ぼすのは、それが同じ地域にとどまったり、同じ地域を
二度三度繰り返し襲うからというから、「線状降水帯」の複雑な発生メカニズムに手をつけ
発生そのものを消滅させることは出来なくても、たとえば「線状降水帯」の位置を少し移動させたり
大海に誘導するなど出来ないのだろうか?
これはまったく愚にもつかない話だろうか???…
その愚にもつかない話は、8日のニュース映像を見るまでは、まったく頭に浮かばなかった。
〈オマケ〉
「愚にもつかない話」ではなく、現実的に可能な話としてずっと昔から思っていることがある。
自然災害からの復旧にはどうしてもお金が必要だ。
実際は戦争しなくても《今日は戦後80年の節目。簡単なことでは日本が主体になっての戦争は
もう出来ない》、脅しに効き目があり、戦争抑止になっているという「自衛隊」という軍隊。
その戦闘機の値段は?とネットで調べたらこうあった。
「航空自衛隊の戦闘機の価格は、機種や購入時期、為替レート、ライセンス生産の有無などに
よって大きく変動します。一般的に、F-15JやF-2といった第4世代戦闘機は1機あたり
約120億円程度、F-35のような第5世代ステルス戦闘機は1機あたり134億円~179億円程度
とされています」とのこと。
1機で120億円。まあ詐欺でも億単位のカネが動いているので「1機で120億円」が高いのか
安いのかはどうでもいいけれど、
災害に遭ったのはウンが悪かったのだとあきらめなければならないのか?
こういうときのためもありせっせと税金を納めてきたのに…
よくいわれるけど、私たちは物質的は富んでも、心が本当に貧しくなった)
花火の夜 椅子折りたたみ ゐし男 三橋敏雄