カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2018.3.17 プーチン・ロシアほか

                                                  カメキチの目

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(『存在論的…』シリーズの途中ですが、ゴメンなさい)

 

 もう3週間にもなる。

 ある日テレビが、プーチン・ロシアがトランプ・アメリカの核兵器の小型化など新兵器の開発に対抗してつくり上げた新たな軍事システムを報じていた。

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  ロシアはアメリカを超したとばかり、その功績は自分にあるとばかりプーチン大勢の人(その道のエラ方たち?)を立派な会場に集め、新たに開発した軍事システムを大がかりなスクリーンに映していた。

 得意満面!

そのうち予定の大統領選を控えての人気取りの企みらしいけれど、招待客のほとんどが新軍事システム・兵器のすばらしさに笑みをうかべ、大きくうなずいていた(鳥肌がたつ)

こんなところをみると、招待客のような性向の人間(現生人類は遺伝子に好戦的性質をもっていると聞いたことが思いだされた)を、プーチンはただ代表しているだけだと思った。ロシアは独裁じゃないもんな。

「独裁」といえば、習金平が主席の座の永久化をもくろみ、任期が無期限になった。中国では「批判」の声が車のバック映像(「時代逆行」という暗喩)で訴えられているとニュースが報じていた。これも鳥肌がたつ。

「東西冷戦」がとけても、アメリカとソ連、いやロシアは変わらない。いや、人間は変わらない。

「権力」。それに付随するもろもろは、それを志向する者にとっては命を賭けるだけの価値、魅力があるのでしょうか(いくら優秀なSPに護衛の世話になっていても、一般人より比較にならぬほどテロの標的になる可能性があるのに、殺されることもいとわないのだから見あげたものです)。

 

■こんなニュースを聞くたびに、深いため息をつきたくなります。

「対立」「ケンカ」というのは、国家であればただ規模が大きく大げさな仕掛けがなされ、「正義」の御旗が掲げられるだけで、本質はチンピラ、ヤクザの「オメエ、ガンをつけたな」「肩ふれたなぁ」と言いがかりをつけ、脅かしあっているのとなんら変わりません。

思えば「脅し」「脅迫」というのは大昔からありました。

いまでも、「〇〇の命がほしかったら3億円用意しろ」というのとなんら変わらないですね(まあ「脅しあう」段階は、なんかの抑止力と同じなので《国家段階ではそのために膨大なカネ(血税)が泡のごとく費やされても必要経費として扱われる、ことになっています。トホホ…》。

すべては命あってこそのことだから…。われわれは「我慢」する。

 

■北の核開発をやめさせ、朝鮮半島を非核化させる(言いはしないが、アメリカなどの核独占状態を続けるために)。日米韓はそのため可能なかぎりの強い圧力を北にかけ続けるそうな。

「圧力一辺倒」の無能な日米を越して、文韓国大統領は、金に「(体制保持を約束するなら)核を持つ意味がなくなる」と思わさせしめた。つまり非核化へ向け(たとえ金の思惑が他にあったとしても、小さくても確かな)一歩を踏みだしました。トランプと話そうという。

(トランプは《先のエルサレムイスラエル首都認定ではユダヤの人々、こんどは平和を望む多くの人々の人気をとるために》いちおう歓迎姿勢をとり、安倍の日本政府はおいてきぼりをくった。森友の新展開は財務省を揺り動かし、政府は拉致問題解決どころではないでしょう《そもそも日本政府は「慰安婦像設置」問題にこだわり、拉致問題は韓国もあり、手をとりあって取り組めばいいものをそうしない》)

今後どうなっていくのかはわかりません(すんなり進むとはノー天気な私だって思わない)。それにたとえ「非核化」が進んだとしても、金の思惑では彼の独裁体制が保障されます。が、それでも無謀な戦争が起こり(シリアのように)多くの命がうしなわれ、多くの障害者が生まれることは避けられる。

 

■先日、「森友…」でついに官僚(地位は上席とのこと)の自殺者が出ました。

最先端で担当していた役人のおひとりが自ら命を絶ったのです。この命の重みを、首相や麻生副総理兼財務大臣、内閣の連中は感じていないのか!

かの佐川のトカゲのシッポ切り、夫人の名前が出てきたのにまだシラを切り通そうとする安倍。麻生なんて、私のなかでは彼が首相のとき失言で辞めたときから、「アッ、ソウ」。

昨年の総選挙後に金サマさま、ミサイルサマさま…おかげで与党に風が吹いたとまた失言(本音の吐露)したアッソウ。

 

「言葉」は堕ちるところまで堕ちたが、まだまだ堕ちようとしている。

 

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 たまたま先日、ここブログで知った『植物の知られざる生活』という本を読んだ。

 著者はドイツで長く森林を管理する仕事にかかわった人(本は世界的に広く読まれ、評価されている)である。樹木の声なき声を聴き、私たちに伝える。

 その声(コトは樹木だけに限らない)に耳をかたむけてみる。

 

 歳をとるごとに、来し方をふり返えることは増え、(上っ面に過ぎなくても)世界にも地球にも目を向けてみる。

 

 すると、「人類嫌い」(「人間嫌い」とは微妙に違う)になった自分の態度・姿勢が短絡的、バカげたものとはわかっていても、自らもその一員である人類の身勝手さ、傲慢、業の深さ、罪深さ…を想わざるをえない。

 

 若いころはこんなこと、まったく思うこともなかった。

 

 

                   ちりとてちん

 

 

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