カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.1.14 正月

         カメキチの目

 

「正月」を迎えて早や二週間。

(いまさらだが、「迎える」という言葉、使い方に日本語の豊かさを感じた)

 

「迎えた」や「改まった」というより、

「また歳とったー」という感のほうが強くある。 

 

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■ 正月気分

(クリスマスを含め)歳の暮れというのはウキウキ。

正月は「年の初め」にふさわしい、少し厳粛さを

伴った特別な気もちになった。

(というのは子どものころだけで、大人になってからは子どものときは学校が

休みになったのと同じように《こんどは仕事が》休めるのが嬉しいだけで

特別ではなくなった

 

■ 初詣。

 故郷では(近くに神社はあったが)初詣の習慣がきちんとは

なく、詣でた思い出はない。

(成長してから「初詣」を知った)

 初詣するようになったのは子どもが生まれてから。

多くの日本人がすることを自分もしてみたかった。

 

■ 正月遊び。

 子どものころは、正月の歌にあるものすべてやった

のだろうが覚えていない。

(覚えているのは大人になってから)

 子どもがまだ2、3歳なのに、ツレが編んだ帽子と

上着でしっかり防寒し、その子(娘)をつれて近くの

100m道路の広くて電線もない中央芝地であげした

(勤め先が子どもの福施設に変わってから、ひし形のビニールの両端にまっ直ぐな

竹ひごを骨組みにしただけの《名づけて》「ふわふわ凧」を子どもたちと手作りし

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飛ばした《このころ「ゲーラーカイト」という西洋凧が大流行りだったが

1000円前後と高価で、施設では買ってやれなかった。正月帰省で家に帰れた子の

何人かが買ってもらったのをもち帰り、自慢していた》)

 

■ 子ども時代の話

① 正月には国旗を飾った家が多かった。

(・ちなみにわが家には飾ろうにも国旗がなかった。

 ・正月以外にも祝祭日には国旗が飾られていたが、いまではほとんど見かけない

 ・そういえば、いまは注連飾りもあまり見かけない《店には多く売られている。

 暮れの買い物で、ツレが「売れなかったのはどうするんだろう?」と言った。

 私は「来年に回すのでは」と答えた》。

 ・そういえば、ハローウィン人気が高まった数年前からクリスマスの方は目に

見えて下がった《店では、おなじみクリスマスソングも飾りつけケーキも少し

だけだった。しかも、ツリーは減りリースが増えた。ケーキは大きな丸型が減り

ショートが増えた》)

② 雪。

 故郷は山ぶかいところだったので、よく雪が降った

(・いまでは昔より明らかに降らなくなった。地球温暖化」を実感する。

 ・ぼたん雪は水気が多いので、そのころは子どもでも番傘をさした。

 番傘は油紙製で破れやすかった《強い風を相手に遊び、ボロボロに破れ、母に

 よく叱られた。こうもり傘を使うようになったのはいつだっただろう》。

 ・雪は北や日本海側でなくともよく降った。子どもには「冬には雪が降る」

 というのがあたり前だった。けれど、年によっては「この冬はどうだろう?」と

 大人たちは心配していたのだろう。 

③ 寒くて、それに栄養も悪かったのか、冬になると

よく霜やけ、あかぎれが出来た。

(・手によく出来たのは、トイレ後の手洗いでハンカチできちんと拭かず、

 濡れた手をズボンになすりつけるだけですませていたからである。

 そうわかってはいても、ハンカチでいちいち拭くのが面倒くさかった。

 ・足もよく出来た。靴も靴下も粗末だった。

 ・あかぎれはパカっと裂けたところが痛くてイヤだったが、霜やけはムズムズを

 掻くのが痒いところを掻くのと似て、それほどイヤではなかった) 

④ 冬休みでも元日登校があり、講堂で校長の訓辞を

聞いて、誰もがミカン一個をもらって帰った。

(それは4年生まで通った小学校でのことで、転校したところではなかった。

 ただミカン一つもらっただけのことが忘れられない)

 

⑤ 初めの小学校は薪式ダルマ型ストーブだった。

転校した学校は石炭式ダルマ型ストーブだった。

(・のちに石炭を「黒いダイヤ」というと聞いて、「うまいことをいうもんだ」と

 感心したことまで覚えている。

 ・どっちのストーブでだったか、近づき過ぎて右手の甲がアッチチの鉄に触れ、

 火傷した。子どもながらヘマ《失態》が恥ずかしく、何ごともなかったように

 やせ我慢した。

 ・成長するにしたがって、世の暖房技術も進み、学校はスチーム暖房、仕事場

 ではエアコン暖房になった《家では子どものころは囲炉裏、火鉢、掘り炬燵。

 大きくなって石油ストーブ、石油ファンヒーター 

⑥ ツララをなめて氷の冷たさを味わい、氷や雪の

結晶を見て美しさを味わった。

(・小学校も終わりの頃、わが家にも冷蔵《凍》庫がきた。夏に冬が来たようで、

 初めて作ったを口に含んだことがいまになっても忘れられない。

 ・その頃のわが家はあばら家で、戸外の寒さは窓ガラスに直接あらわれ、氷の

 結晶となった。雪もパウダースノーになるような冷え込んだときにはその結晶が

 見られ、「美」が何かわからなくても、きれい、不思議と感じた。

 ・子どものころの道路は土道だったので、気温が0℃以下になると水たまりに

 氷が張った。割るのがおもしろくて何度も足をおろした《氷が薄く、靴がビチャ

 ビチャに濡れたこともあった。ときには厚くて、力まかせにおろして足裏がジン

 ジン痛んだ》。

 ・アスファルトなどで舗装されたところに水が流れて凍ったところがあった。

 天然の極小アイスリンクである。そういうところを見つければ滑りたくなるのが

 《高くなったところを見つければ上って歩きたくなるように》子どもである。

 滑って転んだ) 

⑦ 中学生になり学生服を着た。

 栄養の悪さは、鼻水の多さにもあらわれた

 いくら男でも年ごろなので、垂らしたままの

格好わるい姿はイヤだった。しかたなく袖で鼻水を

こする(拭う)から袖が光った(黒光り)

(・私だけじゃない。当時はティッシュなどスマートなものはなく、細かいところ

 にも気を向けられるダンディな男子ならチリ紙やハンカチを持っていたかも…

 こっちはどっちも持っていなかった《と思う》。

 ・服の袖がテカっていても気にならなかった《ズボンのポケットの中に手を

 突っ込み、それで手を拭いたことにした感覚も同じ。彼女がいたとしたら違って

 いただろう》)。

 

 

 

 

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                             ちりとてちん

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