カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.2.10 本心は(努力)したくない

(前にボケてきても安心な社会」の記事を書きました。

きょうはそのダメ押しで、二つの話です

 

数日前、地域のテレビニュースにあったこと。

 

「県民割の第2弾も大好評のうちに、予算枠に達したので終了しました。

受けつけ後、30分で終わったところもあったそうです。

店の前には長い行列ができ、また、その店に向かう道路は車で混雑していました」

街の人の声。

「得をした」「利用してよかった」と相好をくずす人がほとんどだったが、

なかに(損こそしないけれど)利用したくてもできなかった小父さんの

悔しそうに話す顔が印象的だった。

(取材者にも小父さんの悔しさが伝わってきただろうに。

そうなら、このニュース番組で「よかった…」と騒ぐばかりでなく、問題点を抉ればよかったのに)

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「旅支援」「都道府県民割」など、カネの出どころは税金。われわれのフトコロ。

(だから、ホントはすこしも得なわけではないが、得した幻想をもてる。

よく考えれば、うまくダマされている《幻想をもたされる》点では詐欺に引っかかるのと同じ)

 

その大雑把、一律性ゆえに「バラマキ」という公的な補助が批判されることがある

けれども、「バラマキ」は資格、条件にあてはまる者ならばすべて平等に扱われ、

公平感がある。

ところがこれはそうではない。スマホやパソコンなどの情報機器で申し込む必要が

あり、老人たち情報弱者(もっていても、うまく扱えない)の存在は、ほとんど

無視されている。

            

                  (グーグル画像より)


行政は、国民だれもが
スマホやパソコンをもち、操作できると思っているのか?

(電話受けつけも可能だとしても)サービスの予算額は決まっているので、そのままの

実施なら、工夫ある対策をとらないなら「弱肉強食」、力ある者、早い者勝ちで

まごまごしている者、とろい者は負ける。

(「社会的弱者」といわれる者は、このことだけではなく、多くの生活場面でそうだ。

私は自分が当事者になってよく感じる。

さっき、「そのままの実施なら、工夫ある対策をとらないなら…」と書いたけれど、

工夫ある対策は可能だと思う。

《たとえば「宝くじ」のように指定期間内なら希望者すべて受けつけ、後に公平な運まかせで決める

などすれば、参加者はみんな納得できる》

 

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「障害者」にはならなくても、だれでも長く生きれば「老人」になる。

一般的に身体はおとろえ、目も耳も、足腰も悪くなる。

 

安心して痴呆になれ、病気にもなれ、ケガもできる世の中、社会になってほしい。

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日常生活にますます次世代の技術が押しよせ「電脳化」してもそれはそれで便利・

快適だから多くの人が望む)、人間は本来、自然の状態ではアナログでシンプル、

ほかの生きものと変わらない。

だから、どんなに技術が進み「デジタル化」「電脳化」「自動化」しようと、

老いて、その技術についていけなくなる人たちが一定数うまれる。

 

          

               (グーグル画像より)

 

よく利用する大きな店舗の100円ショップでは、客が自分でレジしなければならなくなった。

レジ台で読み取り装置に、商品についている自分の髪の毛みたいなバーコードを読みこまなければ

ならない《一度やってみたいと言っていたツレはおもしろそうにピーピー、商品をかざしていた》。

ほか所定の操作を続けてさいごにお金を支払う。

不正防止の見張りと装置操作のサポートを兼ねて係りの店員さんはいるけれど、私にはムリと悟った

金輪際、一人ではこの店に来ることはないだろう)

            

(呼びかたはどうでもいいけれど)認知症フレンドリー社会

それは、「資本主義社会」「社会主義」という政治体制のレベルのいい方ではなく

弱者だけではなく誰にもやさしい世の中のこと。

(そういう意味で、こういう理想社会はあり得ないけれども、あって欲しい)

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障害者になって当事者でないと感じないことを感じ、思わないことを思った。

 

障害者には大きく二とおりの生き方がある気がする(現実には二つはまざっている)

一つは、努力を要する「障害克服(軽減)の道」。

それは、障害を「社会的な弱さ」「アブノーマル」ととらえることが前提。

(つまり、健康を「社会の普通、標準」「ノーマル」ととらえたとき)

もう一つは、「周囲にたよる(すがる)道」。

(「周囲」というのは障害者に対する他の人間の態度・姿勢をふくむ社会的「環境」のこと。

人々の直接的なやさしさだけではなく、「ユニバーサルデザイン」など社会的弱者にやさしい、

配慮されたモノ、設備や施設、法制度にかこまれた社会。

《こんな社会なら、視覚障害者の方が電車ホームから転落して死亡、白杖をつくだけでは停止線が

わからず、踏切ではねられ死亡という事故は起きなかったに違いない》)

 

障害者ではなくとも困ったことは誰にもあり、そんなとき、周りから(「一日一善」

でもいい)ちょっとした親切、やさしさの手が差しのべられる社会。

 

「自助努力」はたいせつでも、努力は個人差が大きく、それを嫌う私のような

怠け者もいる

わかっていても、本心はしたくない

(ということは、本当はわかっていないのかな?)

 

 

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                            ちりとてちん

 

 

 

 

 

 

 

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