カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2017.1.30 寿命…⑤時間

 

 

 時間。

 生き物にとって、寿命にかかわる根本的にだいじな問題

時間のだいじさは、本川さんに言われなくても、「時はカネなり」ともいうし、時間を生きている、というか「生きている」ことが「時間を過ごす」ことなのでわかります。

しかし、「空気」と同じで、あまりに自然で身近か過ぎて自覚しにくい。

                        

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 すべての存在、生き物には、物理的には同じ時間が流れている。

 だが、生物的には違う。

だって、生物はみな生きているのです。

ナマコも本川さんも私も「生きている」。

それは「生活している」こと。本川さんは東京に暮らしていたときと、大好きな沖縄で暮らしていたときの時間の流れ、「東京時間」と「沖縄時間」は違っていた、と書かれていました。

沖縄は《昔は》集落が近いので、村の寄り合いは、遠くの人を待ってから「そろそろ始めようか」と言うのだそうです。だから、7時から始めると聞いていても実際は7時半とか40分、そのつどバラバラなんだそうです。最後の人を待ってから始まる。要するにみんながそろってからということ。

考えれば、会場に遠い人は時間がかかるし、「7時から始める」というのは7時ころに各自家を出るということで、いちばんフェアなやり方です。

ガチガチ、時間に縛られることなくても生物は暮らしてゆける。

本川さんは生物学者。その学者さんの見地からは、38億年も生物は「必要」のために進化を遂げてきたのだから、「時間」が生物にとってそれほど必要でたいせつなものならば、ただ今「12時30分」などと表示の出るような時計を身体に備えた生物が出てもいいと思うと述べられます。

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これは笑い話ではなく、本気で著者は言われたのでしょう。

 すべての生き物は、心臓がだいたい15億回うつと寿命を迎えるとのこと。

 ゾウもネズミも人間も15億、ドックンドックン繰り返すと死ぬ。

 ゾウは大きい。だから心臓はゆっくり打つ。ネズミは小さい。だから心臓は速く打つ。

 ゾウはネズミに比べれば長生きで、ネズミはゾウに比べれば短命だ。

 だけど、ゾウとネズミの「時間のモノサシ」は違うのだ。

 同じ人間、日本人でも「東京人」と「沖縄人」は違うのだろうか…。

 

 確かにすべての生物、人間に共通な絶対的時間(物理的時間)というものは存在するけれど、同時に相対的な時間(生物時間)もあるのではないか。

 生物の多様性と同じように、「時間の多様性」も認めよう、と著者は主張する。

「そうだ、そうだ!」と私も思いました。

 

産業革命は、機械を使って時間を短縮した」と著者は書く。

車や飛行機での高速移動はもとより、コンピュータなど現代の科学技術は、「時間」の次元に還元すれば、著者が言うように「時間短縮装置」の進歩・発展です。

時間にエネルギー(もちろん、「省エネ」とか「環境にやさしい」とかの努力はあります)をつぎ込んで、なんでもかんでも「より速くする」のが至上命令の資本主義社会で生き残るための「正しい」道なのです。

 

 こんなに速いスピードの社会と一生物としての人間とのかい離。

 現代人としての私たちが、ごくごくあたり前のように操作し、つき合い、恩恵をこうむっている(そのことさえ意識していない便利さ・快適さなのだが、逆に私たちがそういう状態・環境に慣れることにより、操られているのではないだろうか?

 機械にAIとかロボットと言い換えても大きな間違いはない人間が支配させられているのではないだろうか?

 

 目には見えない「時間」という魔物が、「機械」に化けているのだろうか。

 

                 ちりとてちん

 

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