カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.6.24 『人間が生きているってこういうことかしら?』

写真バラ)記事のとき、生きものの命をたいせつにする生命誌」という研究、

啓発の活動をされている中村桂子さんと、死にゆく人の看取りをされる訪問医の

内藤いづみさんとのステキな対談本、

   『人間が生きているってこういうことかしら?』

のことを書きます。

 

読んでいる最中は、お二人の温かな人柄が随所に感じられ、心が温められた。

読みおえたときは、「いのち」「生きている」ことのありがたさ、不思議を

深く感じた。

(すべてがよかったのですが、①「いる」だけでいい ②科学と倫理 二つのことだけ述べます)

 

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①「いる」だけでいい

(「いる」=「生きている」。

「いる」だけでいい《読んで字の如し、ただそれだけ》

お二人の話にむずかしいことは何もなかった

         ↓

「ただ、あんたが生きてくれさえすればそれでいい」

 

「カネを出せ!」と刃物ですごまれたら、自分が金持ちでなくても

ありったけのお金を出し、「どうかいのちだけは…」と懇願する。

切羽つまれば神仏に祈り、頼る。「神さま仏さま…」

極限におかれれば、「いのち」よりたいせつなものはないことを

本能的に感じる。

(そのときは、人間も動物、生きものなのだ《動物は絶対、自殺しない》。

中村さんの本は他も読んだことがあるけれど、どれも「いのち」のたいせつさ、

唯一絶対性のようなことを痛感させられる。

 

プーチンロシアのウクライナへの理不尽きわまる侵略、それへのウクライナの応戦で考えた。

憎くてたまらないプーチン「道理」「正義」はウクライナにある《と考え信じている》。

歴史が教えてくれている通り、長い時間をかければ判断がくだり、結果が出るのだろうけれど、

それほど長くない時間では必ずしも道理が通るとは限らない

ウクライナは自らの側に道理があると、自国民のために、それに人類の正義という理念のためにも

負けるわけにはいかない」、勝利しなければ。

そのためゼレンスキー大統領は欧米などからの軍事支援、武器援助を求めている。

《「軍事」「武器」…こんな野蛮に人間はいつになったら解放されるのだろう》

国民は苦しみに耐え、抵抗し、闘いは続くので長くなっている。だが、…

戦争が長く続けば長くなるほど、軍事兵器により理不尽に殺される、消えゆくいのちが増え続ける

という事実。

その重さを痛感する。一刻も早く戦争を終わらせてほしい。

 

独裁者プーチン。このロシアの一人の男に、すでにウクライナどれだけの無辜の民が殺され、

いのちが消えたことだろうか。

まったく、やり切れない。

きのうは「沖縄慰霊の日」

 

                

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「いる」だけでいいは、戦争の対極

 

「いる」だけでいいとはいっても、そういう表現はあいまい模糊としており、

ただの「のんべんだらり」から、やっぱり生きている限りは「努力」「挑戦」

必要というのまで、受けとり方もさまざまできる。そう、相対的なのだ。

けれど、その「相対的」なあり方、受けとり方がさまざまできるのは、そもそも

世の中が平和であってこそのこと。平和であるというのは絶対的な条件なのだ。

 

「いる」だけでいいという具体的なあり方は何であれ、

すべては生きていてこそのこと。

今ここに自分は「いる」。

それだけでいいのだ。まるごと肯定されるのだ。

(この歳まで生きてきて、そのことを痛感する)

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②科学と倫理

【引用】

科学を進めて、一方で倫理で抑制をかけるという考え方では本当によい選択はできない…。

研究を進める人々の考え方が変わらなければいけないと思ったのです

 

問題が起きたら後から対処すればよいという発想だから、科学技術は先をどんどん

進む。

その「後から対処」(言葉が悪いけれど「尻拭い」のように)に倫理が登場する。

いちばんわかりやすく現れているのは医学、バイオテクノロジーの面。

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「歯止め」

倫理が「後から対処」ではなく、「歯止め」とならなければならない

倫理が先になければならないことを、著者たちは、

研究を進める人々の考え方が変わらなければいけない」という。

 

(21世紀になってからの、デジタル《コンピュータ》全盛、個人の身近な生活の変化だけでなく

グローバル化などの社会の変化、地球の行く末のような壮大なことまで想うと《自分の人生もあと僅か

ということもあり》研究を進める人々の考え方が変わ」ることは期待できないと諦め気分になる。

《科学技術者の圧倒的多数は人の幸福に役立ちたいと思っているのだろうが、同時にやみがたく

知りたいわかりたい」「試したい」。これは誰にも止められないものなのだろう。

アインシュタインは原爆の開発に関与したことを強く悔いていたという》

著者たちのような方はごくごく少数のような気がする)

 

 

 

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                              ちりとてちん

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