今日は肝心の本の紹介です。
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「①〈「障害者差別」について考える意味〉
「差別」を捉えるには?
私たちは、「差別は良くない」という総論で同意するのは容易いのに、
具体的にどのような言動が差別にあたるのかといった各論を共有しようとした途端、
(「差別と区別は違う」などと言ってみたり)一致が難しくなります。
(国は「障害者差別解消法」《2013年制定 2016年施行》の中で何が差別に当たるのかを個別に
定めてはいないが、「不当な差別的取り扱い」を禁じ「合理的配慮」を求めている)
…
〈障害者は「不幸」なのか?〉
もしも障害児(者)が「不幸」だというのであれば、問われるべきは…社会の仕組や価値観の方…
(最も大切なことは)法律や制度を作ったからヨシとするのではなく、より良いものを作るために
「議論し続ける」こと…」
「②〈誰かが殺されても気にならない社会〉
特定の人たちを無関心という壁の向こう側に追いやることは、「差別」以外の何ものでもない
〈相模原事件後の世界を生きるために〉
「③〈障害のままで生きる〉
青い芝の会の特異点
①青い芝の会は、障害者差別に対して、明確に「闘う」という姿勢を見せました。…
それまでは、主に障害者の親や、医療・教育・福祉の専門家たち…(の運動)
運動の内容は親たちの親睦・互助、行政への陳情、社会啓発…
②青い芝の会は、それまで「常識」だと信じられていた価値観に対して、
障害者の立場から拒絶の意志を示しました。…
(一般的だった)「不幸で可哀想な障害者」像(を批判し)
「優しさ」「同情」「思いやり」を寄せることは「良いこと」 (〈愛と正義〉の理論を批判する)
こうした「親批判」と連動して、彼らは「施設」も批判(「施設」は「障害者を「体よく排除」する
ものであり、「親の立場からのみの施設の必要性」が説かれる)
③青い芝の会は、「障害者であることに割り切る」という姿勢…
障害を「克服」したり「治療」したりする考え方を拒絶…
障害者が障害者のままで生きてはいけないのかと、逆に問う→「健全者幻想」
④青い芝の会は、現代の資本主義障害者や、資本主義的な価値観を批判…
人間を「働ける/働けない」で分断、序列化するような合理主義的・経済主義的な価値観に猛烈に反対…
「働く=善」という価値観を根底から否定…
「腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働としてみられるべき」…
「生きる」こと自体が〈労働〉…
労働できない障害者は〈不合理な存在〉であることを示すこと自体に存在意義がある …
彼らの運動には「人間」の定義を組み替えようとする大きなテーマが潜在していた…
青い芝の会が闘ったのは、障害者に向けられた、こうした価値観そのものだった」
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この本は、ほとんど「青い芝の会」のことについて述べられていた。
(ネットによれば
「青い芝の会は、脳性マヒ者の権利獲得を目指して活動した、1960年代から1970年代に
かけて活発だった障害者団体…「愛と正義を否定する」という強烈な自己主張の姿勢で、
既存の福祉制度や社会観に異議を唱え障害者解放運動を牽引」
私は若いとき社会福祉関係の仕事をしたく、その道に就職したけれど、障害《児》者福祉施設では
なかった。
働いているとき「青い芝の会」のことを知ることはなく、退職してから障害関係本で初めて知り
衝撃を受けた。
社会の「「常識」だと信じられていた価値観」を自分たちの生き方を通し、身体ごと問い、
引っくり返した話を初めて知った。
《自らの生き方を通して「差別」を告発、障害者が生きやすい、暮らしやすい社会を目指す。
それはすべての「社会的弱者」と呼ばれる人たちが生きやすくなる、暮らしやすくなること。
そういう社会は当然、誰もが生きやすい、暮らしやすい世の中》
半世紀も昔の「青い芝の会」の運動が根拠とする考え、思想は障害の有無に関わらず、
人間としての生き方を深く考えさせ、感動した。
もっと早く、できれば若いとき、「青い芝の会」の運動を知りたかった)

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①
「総論賛成、各論反対」ということはよくいわれる。
(人生の目的は誰でもだいたい同じなので総論としては一致しやすい《賛成》けれど、
目的達成への道、方法・手段は多様で、各論としては別々になりやすい《反対》。
「人間的な世の中をわが党は目指します」という政党の選挙演説も、「みんな幸せになろうね」
と言うのも、総論は似たようなもので文句のつけようはない。
「人間的な」も「幸せ」もほとんどの人々が望む)
「差別」をなくそうも「総論賛成、各論反対」だ。
日本も民主主義国家なので、国際的な潮流もあり、いつまでも「総論賛成・
各論反対」のまま黙っておく、放っておくわけにはいかず、
とうとう2013年には「障害者差別解消法」を作った。
(「障害者差別解消法」では、「不当な差別的取り扱い」を禁じ「合理的配慮」を求めている。
「不当な…」も「合理的…」も曖昧、抽象的だけど、国は日本人の「良識」を信じているらしい。
《「ハラスメント」。昔はあまり聞くことなかった。
「ハラスメント」が問題とされようになったのは新しく、まだ独立した「ハラスメント禁止法」は
制定されていない。
たとえ制定されても、「障害者差別解消法」のように「不当なハラスメント的取り扱い」を禁じ
「合理的配慮」を求めるだけで、あとは日本人の「良識」を信じるのだろう)
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②
「誰かが殺されても気にならない社会」
「特定の人たちを無関心という壁の向こう側に追いやることは、
「差別」以外の何ものでもない」
とても強く胸に響いた。
「気にならない」ことは「無関心」ということ。
そのことが「差別」を容認してしまうことになってしまう。
(よく考えてみると「無関心」とは「無視」、ネグレクトのこと。
「相模原事件」「生活保護パッシングや在日外国人へのヘイトスピーチ」に関心をもつことは、
「差別」を考えることであり、誰もが生きやすい、暮らしやすい社会をつくることにつながる。
そのことを強く思った)

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③と④
「青い芝の会」の障害の程度、軽重の問題ではなく、「障害者であることに割り切る」
という生への姿勢にともかく感動した。
「障害を「克服」したり「治療」したりする考え方」をせず(もちろん少しでも軽く
楽になるなら治療もリハビリもする)リハビリ、「障害者が障害者のままで生きては
いけないのか」と社会に問う態度にともかく感動した。
「「働く=善」という価値観を根底から否定」し、
脳性マヒなど重度の障害をもつ人たちが、
「腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働」
「「生きる」こと自体」が〈労働〉だという。
(根源的な人間観、人生観が述べられていた。
私は前の記事で自分の障害を詳しく書き、「自分の障害の程度は軽いと思っている」と思っているが
軽くてもヘタレ、根性なしなので、たまにそのヘタレ度が上がり、「ああ…たまらん、不快だ…」と
めげてしまいそうになる。
「腰をうかせようと一生懸命…」にはガーンときた)

捕虫網 買ひ父が先ず 捕らへらる 能村登四郎