パラパラとめくっていたら、「「生きもの」であることを忘れた人間」という
一文が目につき、それに惹き込まれてみな読んだ。
一般向けの新書本で本当にわかりやすく、やさしく書かれてあり、
なんども深くうなずかされた。
(著者中村桂子さんのお人柄が伝わってきた)
『科学者が人間であること』 中村桂子・著

(グーグル画像より)
生きるうえで、宗教的であること(前回、仏教のことを書いたばかりですが)、
科学的であることは反しないということを強く感じた。
(「反しない」どころか両立させなければならないものだと痛感させられた
いつものように、強く感じた部分だけ引用・紹介し、感想を書きます。
全部で七つあり、今日は①~④、⑤~⑦は次と二回に分けます)

ーーーーーーーーーー
①
「(はじめに著者の根本的な思想が述べられます)
人間は生きものであり、自然の中にある
「生きもの」であることを忘れた人間
自然は「想定」できない
東日本大震災で明らかになった問題点
→科学技術が自然と向き合っていない」
②
「〈祖先は一つ、三八億年の重み〉
今私たちのまわりにいるバクテリアは三八億年という歴史を持つ存在…
すべての生きものが三八億年という時間がなければここには存在しないという事実(の重み)
「つながりの中にいる」という感覚を持つことの大切さ
生きていく能力は全体としては(どの生きものも)同じ
生き続ける能力として見れば、どれも甲乙つけ難い
(チンパンジーは「人間より「直観像記憶能力」が優れている」が、このことは
「瞬時の全体把握能力が《チンパンジーが生き抜くために必要な能力だから》」で、
生きものにはビックリするほど人間より優れたある能力を持つものは無限といってよいほどいる。
そういう点から見れば、「生きていく能力は全体、生き続ける能力としてはみな同じ」なのだ」
③
「〈生きものには合わない「進歩」〉
私たち(人間)が求めてきたものは何よりも、「便利さ」と「豊かさ」だった…
速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。日常生活の中ではとてもありがたいことですが、…
いずれも生きものには合いません」
④
「(東日本大震災で)原発事故を機に関心が高まった「自然・再生エネルギー」という言葉も、
自然エネルギーとは、再生とはと考えてみると、実際にそのエネルギーで社会を動かしていくには、
社会のしくみを変えていくほかないことが見えてきます。
現在の…一極集中型で大型化をめざす社会には、太陽光・風・水・地熱の利用のどれも向きません。
地産地消型の小さな地域を基本に置き、経済価値からだけの評価ではなく、
生活のすべてからの評価で事が動く社会に変わらなければ、自然エネルギーの活用は無理です」

ーーーーー
①
ときどきは意識して、「人間は生きものであり、自然の中にある」
「「生きもの」であることを」思ってみないといけない。
強くそう思った。
そして、「諸行無常」が身に沁みる。
(「今・ここ」を大事に生きていくという禅的生き方を実践したい、と思っているけれど、
実際に生きているのは目の前の今日の日本社会。
そこはたまたま自分がウン悪く、自然災害を被ったり、個人的に重篤な病気になったり
ケガさえなければ、ホントに便利で快適に生きられる場所、社会だ。
「たまたま」はいつ起き、それに遭うかわからない災難。
老いもその果ての死も必然)
「人間は生きものであり、自然の中にある」
本当にそう感じる。
(「感じよう」としなければならないと感じる)
ーーーーー
②
「「つながりの中にいる」という感覚を持つことの大切さ」
「生きていく能力は全体、生き続ける能力としてはみな同じ」
私としてはどちらもこれまで思い考えたことがなかったことで、
(大げさな表現だけど)「感動」した。とても新鮮に心に響いた。
地球上のすべての生きもの(ネットによればその数は「地球上の生物の総数は、
既知の約175万種に加えて、未知の生物も含めると約300万~1億1100万種と推定される」)の
すべての祖先は一つ(同じ)。
みんな、「「つながりの中にいる」という」わけだ。
そういう事実を知り、そのことの不思議、奇蹟を感じる、「感覚を持つ」。
(このことも①のようにときどき意識してみなければならない)
「生きていく能力は全体、生き続ける能力としてはみな同じ」
このことも、つくづくそう思った。
「生きていく能力」「生き続ける能力」という発想に、生きものを慈しむゆえに
単なる「生物学」ではおさまり切れない、生命の歴史も取り込んだ「生命誌」
というあまり聞かれない研究分野に著者の心を強く感じた。
(ヒトという動物はついに核兵器を作った。
その気さえあればいつでも核戦争をし、ヒトばかりかすべての生きものを巻き込んで絶滅させる。
そこの次元では誰が戦争を先に仕掛けたかどうかを問うことなく、グローバルな現代では
地球のどこに居ようと巻き込まれ、極めて数少ないウンのいいもの以外は死に絶える。
ヒトには「生きていく能力」はあっても「生き続ける能力」はなさそう。
ヒトだけ死に絶えるのならいいけれど、否応なく巻き添えを食う他の生きものたちは迷惑千万!)

ーーーーー
③
「生きものには合わない「進歩」」
これも本当に考えさせられた。
周囲を見渡すと、家畜、ペットにさせられた動物たち(「させられた」わけでなく
ウシたちネコたちにすれば生存戦略で自らすすんでヒトに飼ってもらうようになった)は、
ヒトの都合のいいように「品種改良」と称して「変えられる」ことはあっても
「進歩」したわけではない。
(でも、ヒトの側に「動物福祉」「アニマルウェルフェア」という考え方、文化が起こり、
現代では動物たちがより快適に過ごせるよう動物園では野生の自然環境を工夫したり、
ニワトリのケージ飼いをなくしたりなどの取り組みが、ごく一部では行われるようになった。
これはヒトの「進歩」がもたらしたせいだろうか?
「進歩」は「生きものには合わない」けど、生きものみんなが幸せを感じるこういう方向での
「進歩」は望ましい)
ーーーーー
④
「現在の…一極集中型で大型化をめざす社会には、
太陽光・風・水・地熱の利用のどれも向きません。
地産地消型の小さな地域を基本に置き、経済価値からだけの評価ではなく、
生活のすべてからの評価で事が動く社会に変わらなければ、
自然エネルギーの活用は無理です」
生きものたちそれぞれの「自然エネルギーの活用」を思(想)ってみた。
ヒトも生きものだから、「自然エネルギーの活用」だけで成り立つ社会、つまり
「経済価値からだけの評価ではなく、生活のすべてからの評価で事が動く社会」に
すればいいのに…。
(ヒトの石油や石炭の活用・利用も、石炭・石油も地球の自然に存在するので、広い意味では
「自然エネルギー」の一種といえる《と思う》。
ただそれは太陽光・風・水・地熱のような自然現象ではなく「物《モノ》」なので限りがあるだけ。
「限りある」資源、エネルギーをいま使い尽くしても、「後は野となれ山となれ」ではなく
「立つ鳥跡を濁さず」という姿勢で生きるなら、それはそれでヒトは人間らしいと思う。
「人工的エネルギー」といえるのは原子力と、いま研究開発されているらしい核融合という
「超超ミニミニ太陽」の地球上での再現。
私は反対するけれど、ヒトは想像し欲望したことは何でもやるから、科学技術教の信者だから、
それはそれで人間らしいのかもしれない)

梅が香や どなたが来ても 欠茶碗 小林一茶